長銀粉飾決算事件 東京高裁平成17年6月21日

 長銀粉飾決算事件 東京高裁平成17年6月21日


■ 長銀粉飾決算事件

日本長期信用銀行(現新生銀行)の決算において、不良債権を処理せず、損失を少なく記載した有価証券報告書を提出し、株主に違法配当した事例について、当時の長銀代表取締役らに、証券取引法違反が問われた事件。
 
東京高裁では、有罪判決が出たものの、最高裁では、これまでの『公正なる会計慣行』として行われたいた税法基準の考え方によって判断したことは違法とはいえないとして、虚偽記載有価証券報告書提出罪及び違法配当罪の成立が否定された。

判旨 東京高裁 平成17年6月21日 公正な慣行について


■ 事案の概要(東京高裁)

 一 原判決は、株式会社日本長期信用銀行(以下「長銀」という)の代表取締役頭取であった被告人A、代表取締役副頭取であった被告人B、同被告人Cが、共謀の上、(1) 長銀の平成九年四月一日から平成一〇年三月三一日までの事業年度の決算(以下「平成一〇年三月期決算」という)には、五八四六億八四〇〇円(この項においては一〇〇万円未満切捨て)の当期未処理損失があったのに、取立不能の虞があって取立不能と見込まれる貸出金合計三一三〇億六九〇〇万円の償却又は引当をしないことにより、当期未処理損失を過少の二七一六億一五〇〇万円に圧縮して計上した貸借対照表損益計算書及び利益処分計算書を掲載するなどした上記事業年度の有価証券報告書を、平成一〇年六月二九日、大蔵省関東財務局長に提出し、もって、長銀の業務に関し、重要な事項につき虚偽の記載のある有価証券報告書を提出した(原判示第一の事実、平成一〇年法律第一〇七号による改正前の証券取引法一九七条一号、平成一二年法律第九六号による改正前の証券取引法二〇七条一項一号違反)、(2) 長銀の上記事業年度の決算には、上記のとおり、五八四六億八四〇〇万円の当期未処理損失があって、株主に配当すべき剰余金は皆無であったのに、平成一〇年六月二五日、長銀の定時株主総会において、上記当期未処理損失二七一六億一五〇〇万円を基に、任意積立金を取り崩し、一株三円の割合による総額七一億七八六四万七四五五円の利益配当を行う旨の利益処分計算書案を提出して可決承認させ、そのころ、同社の株主に配当金合計七一億六六六〇万二三六〇円を支払い、もって、法令に違反して利益の配当をした(同第二の事実、商法四八九条三号違反)として、被告人らを有罪とした。

■ 争点

 本件において、有価証券虚偽報告罪及び違法配当罪の成否は、実質的には、当時の商法二八五条の四第二項(同項は「金銭債権ニ付取立不能ノ虞アルトキハ取立ツルコト能ハサル見込額ヲ控除スルコトヲ要ス」と規定している)、商法三二条二項(同項は「商業帳簿ノ作成ニ関スル規定ノ解釈ニ付テハ公正ナル会計慣行ヲ斟酌スベシ」と規定している)の問題に帰着する。すなわち、平成一〇年三月の決算期当時において、控除しなければならない「取立不能見込額」を認定するために斟酌すべきとされる「公正なる会計慣行」は何なのか、具体的には、後述する「資産査定通達」等によって補充される改正後の決算経理基準(改正決算経理基準)が銀行の貸出金の償却・引当に関する基準として「公正なる会計慣行」なのか、それとも、改正前の決算経理基準のもとでの銀行の貸出金の償却・引当に関する会計処理方法である税法基準(貸付金のうち、法人税基本通達九−六−四等の要件を満たす額については貸倒償却・引当をする義務があるとするもの)や関連ノンバンク等についての段階的処理等を容認していた従来の会計処理が「公正なる会計慣行」なのか、更には、上記の二つの基準が「公正なる会計慣行」として併存するものなのかが核心的な争点である。

 そこで、以下においては、まず、「公正なる会計慣行」は何なのかを論じ、次いで、長銀の定めた自己査定基準が「公正なる会計慣行」に反する不当なものか否かを論じ、更に、不当とした場合に償却・引当不足の具体額を論じ、最後に、故意及び共謀等について検討を加えることにする。

■ ① 公正な会計慣行について

 第二 平成一〇年三月期決算時における「公正なる会計慣行」とは何か(貸出金の償却・引当についての基準)

 一 原判決は、平成一〇年三月期決算時における貸出金の償却・引当の基準について、平成一〇年四月から導入された「早期是正措置制度」の導入の経緯等を詳細に認定した上で、大蔵省大臣官房金融検査部長が金融検査官等に宛てて発出した「資産査定通達」、同部管理課長が発出した「九年事務連絡」、日本公認会計士協会が発表した「四号実務指針」等が示すところの、資産査定の方法、償却・引当の方法等は、合理的な基準であり、改正決算経理基準の内容を補充するものとして、唯一の「公正なる会計慣行」に当たると判断した。

 これに対し、所論は、(1) 本件当時の状況からは、「資産査定通達」等は、金融機関相互間に適度の統一性を確保するためのガイドラインにすぎず、金融機関は、自らの実状を踏まえて自主的にルールを策定し、これに基づいて償却・引当を実施すべきであったのであるから、「資産査定通達」等に法規範性はなかった、(2) 本件当時は、「早期是正措置制度」が導入されることになった最初の年度であり、各種システムの試行錯誤的・段階整備的な段階にあったから、償却・引当に関する従来の基準は完全には変更されていなかった、(3) 法人税基本通達が変更されることなく引き続き存続していたことや、会計処理の継続性に配慮する企業会計原則からすると、決算経理基準の改正は、従前の税法基準による処理判断の在り方を否定しておらず、本件当時は、従前の税法基準による会計処理が「公正なる会計慣行」と認められていた、などと主張して、多岐にわたって、原判決の判断を論難する。


 二 そこで、検討するに、関係証拠によれば、① 平成六年、平成七年の相次いだ金融機関の経営破綻を契機として、金融制度調査会は、金融システム安定化委員会を設置し、平成七年一二月二二日、「金融システム安定化のための諸施策」(原審弁六)を答申したこと、答申において、金融機関経営の健全性の確保のための方策として、「ディスクロージャーの推進」と「早期是正措置の導入」等を提言したこと、② また、大蔵省の金融検査・監督等に関する委員会も、平成七年一二月二六日、「金融機関の経営の健全性を確保するため、客観的なルールに基づき経営の早期是正を促すいわゆる早期是正措置を導入する必要がある」とし、「金融機関が、資産内容を自己査定し、外部監査によるチェックを受けた上で、その結果及び自己資本の充実度の状況を報告する。当局において、これをモニタリングし、自己資本の充実度及び自己査定の正確性に関する評定を行う。当局は、自己査定のための統一的な基準を示す」ことなどを提言したこと(原審弁七)、同日、大蔵大臣も、ほぼ同旨の内容の談話を発表したこと(原審弁一〇)、③ これらの提言等を受けて、平成八年六月二一日、「金融機関等の経営の健全化確保のための関係法律の整備に関する法律」等(いわゆる金融三法)が成立して、銀行法及び長期信用銀行法等の一部が改正され、銀行経営の健全性を確保するための金融行政当局による監督手法として、平成一〇年三月期決算をも対象として、平成一〇年四月一日から「早期是正措置制度」が導入されることになったこと、④ 金融三法の成立を受け、平成八年九月、大蔵省銀行局長の私的研究会として、国際経営コンサルタント顧問Dを座長とする「早期是正措置に関する検討会」が発足し、同検討会は、同年一二月二六日、「中間とりまとめ」を公表したこと(原審甲一八一、弁八)、⑤ 大蔵省大臣官房金融検査部長は、平成九年三月五日付けで、「早期是正措置に関する検討会」における検討結果を踏まえ、各財務(支)局長、沖縄総合事務局長及び金融証券検査官宛てに「早期是正措置制度導入後の金融検査における財産査定について」と題する通達(これが本件において問題となっている「資産査定通達」といわれるもの)を提出したこと(原審甲一五一資料二)、⑥ 「資産査定通達」が発出されたことを受けて、全国銀行協会連合会の融資業務専門委員会は、「資産査定通達」の内容について、金融行政当局とも相談の上、その一般的な考え方を「「資産査定について」に関するQ&A」以下「資産査定Q&A」という)にまとめ、同連合会は、平成九年三月一二日付けで、これを全国の金融機関に送付したこと(原審甲一五五資料三)、⑦ 一方、日本公認会計士協会は、早期是正措置に関する検討会が発表した「中間とりまとめ」を基に、平成九年四月一五日付けで、銀行等監査特別委員会報告第四号「銀行等金融機関の資産の自己査定に係る内部統制の検証並びに貸倒償却及び貸倒引当金の監査に関する実務指針」(これが本件で問題となっている「四号実務指針」といわれるもの)を公表したこと(原審甲一五一資料五)、そして、この実務指針は、「平成九年四月一日以後開始する事業年度に係る監査から適用する」ものとされたこと、⑧ さらに、大蔵省大臣官房金融検査部管理課長は、平成九年四月二一日付けで、「金融機関等の関連ノンバンクに対する貸出金の査定の考え方について」と題する事務連絡(これが本件で問題となっている「九年事務連絡」といわれるもの)を発出したこと(原審甲一五一資料三)、この事務連絡において、金融機関等の関連ノンバンクに対する貸出金の査定の考え方を示し、平成七年四月一三日付け「当面の貸出金等査定におけるⅢ分類及びⅣ分類の考え方について」と題する事務連絡(「七年事務連絡」)のうち関連ノンバンクに係るもの(関連ノンバンクの査定の考え方)については廃止するとされたこと、⑨ この「九年事務連絡」の発出を受けて、全国銀行協会連合会の融資業務専門委員会は、「九年事務連絡」の内容について、金融行政当局とも相談の上、その一般的な考え方を「「資産査定について」に関するQ&Aの追加について」(以下「追加Q&A」という)として追加的にとりまとめ、同連合会は、平成九年七月二八日付けで、これを全国の金融機関に送付したこと(原審甲一五一資料四)、⑩ 平成九年七月三一日、長期信用銀行法一七条において準用される早期是正措置に関する銀行法二六条二項等の規定に基づき、同年大蔵省令第六一号「長期信用銀行法施行規則の一部を改正する省令」が公布され、長期信用銀行法施行規則(昭和五七年三月三一日大蔵省令第一三号)が改正され、同規則二〇条の二及び三として、銀行法二六条二項が定める自己資本の充実の状況に関する区分及び当該区分に応じ大蔵省令で定める命令の内容が定められたこと、それによれば、長銀のような海外営業拠点を有する長期信用銀行については、国際統一基準による自己資本比率(「BIS比率」)が用いられ、早期是正措置発動の基準及び措置の内容として、大蔵大臣は、金融機関のBIS比率に応じて、改善計画の提出、提出された改善計画の変更、業務の停止等の監査上必要な措置を講ずることができるとされたこと、⑪ さらに、平成九年七月三一日付けで、銀行法施行規則の一部を改正する省令(同年大蔵省令第六〇号)が公布され、これに伴い、大蔵省銀行局長は、長銀代表取締役頭取宛てに、「基本事項通達」の一部を改正したこと(その内容は、資産の自己査定の在り方や自己査定基準の作成、資産評価等を含む決算処理の基本方針等を規定したもの)及び通達中の改正「決算経理基準」については、平成一〇年三月期の決算から適用することを通知したこと(原審甲一五五資料六)、以上の事実が認められ、その経過の詳細及び内容については、原判決が詳細に摘示しているとおりである。


 三 上記の事実に照らせば、「資産査定通達」、「四号実務指針」、「九年事務連絡」(この三つを併せて「資産査定通達等」という)及び改正決算経理基準は、金融機関の健全性を確保する目的で平成一〇年四月一日から導入される早期是正措置制度を有効に機能させるために必要な金融機関の資産内容の査定方法や適正な償却・引当の方法を明らかにし、それにより資産内容の実態を正確かつ客観的に反映した財務諸表を作成することを目指して策定されたものといえる(「資産査定Q&A」及び「追加Q&A」(この二つを併せて「Q&A」という)も、同様の趣旨で作成されたものである)。しかも、「資産査定通達等」は、金融機関の監督官庁である大蔵省銀行局や金融検査部を中心に、日本公認会計士協会関係者、日本銀行関係者、金融機関の代表者等金融機関の会計処理や決算処理に関わっている関係者等が参加して検討した結果を公表した「中間とりまとめ」の考え方を基礎にし、その内容を明確にしたものである上、いずれも全国銀行協会連合会等を通じて金融機関にその内容が公表、送付され、周知徹底が図られてきたといえること、さらに、資産査定の方法として用いられた資産分類の概念等は、それまでの金融検査部による金融検査の時に使用されてきた資産分類の方法等が踏襲され、大きく変わるものではないことなどに照らすと、「資産査定通達等」が示す資産査定の方法、償却・引当の方法等は、金融機関の貸出金等の償却・引当に関する合理的な基準であり、基準としても明確なものであると認めることができ、同様の趣旨・目的の下に発せられた「基本事項通達」の改正に伴う改正決算経理基準の内容を補充するものとみることができる。


 もっとも、「資産査定通達」及び「九年事務連絡」は、金融検査官等宛てに発せられた検査の基準であり、また、「四号実務指針」は、会計監査法人等が監査をするに当たっての指針であるから、それ自体は法規範性を有するものでないし、これらが、それ自体として直ちに本件当時(平成一〇年三月期決算時)における「公正なる会計慣行」そのものであるということはできず、これらは、当時の「公正なる会計慣行」が何なのかを推知するための有力な判断資料ともいうべき性格のものと考えられる。しかるところ、金融検査官は、「資産査定通達」、「九年事務連絡」に従って検査をするものであるし、また、会計監査法人は、「四号実務指針」に沿って監査をすることになるのであり、これを受けて金融機関側でも、「資産査定Q&A」及び「追加Q&A」を作成して金融機関に周知を図っているのである。しかも、「資産査定通達」は平成九年三月に、「九年事務連絡」、「四号実務指針」は同年四月に発せられたり、公表されたりしているのであって、平成一〇年三月の決算時までに約一年あって周知の期間も確保されているといえる上、本件当時、金融機関においては、従来に比してより透明性の高い明確な資産査定等による会計処理が求められるに至っていたことに照らしても、「資産査定通達等」に定める基準から大きく逸脱するような自己査定基準の作成やこれによる自己査定はもはや許されない事態に至っていることは、金融機関の共通の認識になっていたと認められるのである。したがって、「資産査定通達等」の定める基準に基本的に従うことが「公正なる会計慣行」となっていたというべきであり、その反面、「資産査定通達等」の趣旨に反し、その定める基準から大きく逸脱する会計処理は、もはや「公正なる会計慣行」に従ったものとはいえず(補足すると、自己査定制度の趣旨・性格からして、「資産査定通達等」の定める基準に少しでも反していれば、違法となるわけではなく、同基準に反していたとしても、その程度が大きく逸脱するに至らない会計処理については、直ちに違法となるものではない。それ故、最も厳しい基準で自己査定した金融機関以外の金融機関の会計処理がすべて違法であるということには全くならない)、従前「公正なる会計慣行」として容認されていた税法基準(貸付金のうち、法人税基本通達九−六−四等の要件を満たす額については貸倒償却・引当をする義務があるとするもの)による会計処理や、関連ノンバンク等についての段階的処理等を容認していた従来の会計処理(この点は、第三の二及び三で詳述する)はもはや「公正なる会計慣行」に従ったものではなくなった、言い換えると、資産査定通達等」の示す基準に基本的に従うことが唯一の「公正なる会計慣行」であり、この二つの基準の併存はあり得ないというべきである。そして、このように判断しても、新基準への改正は適正になされていること、新基準の内容は銀行の資産及び損益の状況を明らかにするという目的に照らしても合理的なものであること、基準としても明確なものといえること、平成一〇年三月期の決算から適用されることが周知されていること、会計慣行の変更に伴う企業会計の継続性の観点からみて問題がないわけではないが(特に平成一〇年三月期においてはいわゆる税法上の手当てがされておらず、翌平成一一年三月期決算においていわゆる税効果会計の前倒し適用が認められて手当てがなされた)、周知期間が「資産査定通達等」の発出等から約一年(決算経理基準の改正通知からでも約八か月)あり、それだけの期間があれば金融機関としても、対策を講じることができると思われることなどに照らして、金融機関に過酷な結果を招来するとはいえないと考えられる。原判決の説示中には、以上の判断と異なるかのような部分もないわけではないが、「資産査定通達等」の趣旨に反し、その定める基準から大きく逸脱するような会計処理はもはや許されず、「資産査定通達等」の定める基準に基本的に従うことが「公正なる会計慣行」となっていたとする点においては同旨であるから、この点は判決に影響を及ぼさない。


 四 以上に関連して、主な関係者の供述をみると、「早期是正措置に関する検討会」の座長を務めたDは、原審及び当審において、「本格的な金融システムの安定化のための当時の喫緊の課題として、不良債権の処理策があり、概ね五年以内のできるだけ早期に処理しようというものであった。金融機関の市場原理に基づく自己責任体制の確立、事前介入から客観的な手法に基づく事後チェックという大蔵省の金融行政の転換などという早期是正措置の導入が必要とされ、その内容を検討して中間とりまとめを作成したが、早期是正措置(不良債権処理)を仮に理想的な形(非常に厳しい基準)で実現した場合、各金融機関は軒並み基準を下回って業務改善命令等の対象となり金融システムが大混乱となるなどの懸念があった。銀行が作る自主ルールは、銀行の創意工夫を生かして個々の債権の回収可能性に立脚しながら策定するという、自主的・主体的判断を重視した。早期是正措置は平成一〇年四月から導入されることとなっていたが、金融機関が慣れていない手法であったため、三年くらいかかって(平成一三年度ころに)定着してくれればいいと考えていた。法律専門家ではないが、自己査定のガイドラインに合致しないと直ちに違法な会計処理になるという認識は当時持っていなかった」などと供述している。
 また、全国銀行協会連合会(全銀協)の一般委員長として「早期是正措置に関する検討会」に参加し「資産査定Q&A」の作成に携わるなどしたEは、別事件の証人尋問(当審弁一四五)において、「早期是正措置の導入により、貸出金の償却・引当等のやり方は、従来の税法基準ではなく、貸倒れの実績率に応じてする考え方が前面に出てくること、自己資本比率が指標となること、当局に報告したり相談して承認をしてもらうなどの何らかの方法で当局とのかかわりを持った上で実行に移すという従来の一般的やり方が、自己責任原則にのっとり市場規律によって銀行の行動がチェックされ事後的にその結果を当局が検査に入ってチェックし検証するという形に変わるものであったが、会計基準を変更するというようなものではなかったと認識している。資産査定通達については、当局から全銀協に対して、傘下の金融機関に周知させるよう連絡があり、全銀協から各金融機関の融資担当役員に伝達したが、各金融機関では、その通達の趣旨、中間とりまとめの趣旨にのっとって自己査定基準を作る作業に取り組んだと思う。当時、各銀行から、具体的にどうしていいか分からないことがたくさんあるとして疑問や質問が多々あったので、これをとりまとめて、当局と相談しながら答えを作り、当局の了解の下にQ&Aを配布した。これにより、ある程度の統一が期待されたが、それで全て完全な統一が図れるとは思っておらず、おって当局の検査のプロセスを通じて実績が積み上げられ、だんだんに統一された自己査定の基準が確立するだろうと思っていた」などと供述している。


 さらに、本件当時大蔵省大臣官房審議官として銀行局を担当していたFは、当審(証人尋問及び当審弁一三五の陳述書)において、「通達等は、金融機関に受け入れられて結果として優良な会計慣行として成熟することが期待されていたが、通達等が改正後直ちに法的な拘束力を持つことは別次元の問題である。資産査定通達等が発出された際、これによって商法の会計基準が全面的に変更されるという認識はなく、将来、各行又は会計士等がこれを慣行として認知するまで熟したら、自然に公正な慣行となることはあり得ると考えていた。当局としても、資産査定通達等から乖離すること自体をもって違法であるという認識は、当時はなかったのではないかと思う」などと供述している。


 これらの供述からすると、「資産査定通達等」の示す基準に従う会計処理が未だ「公正なる会計慣行」に成熟するまでには至っていなかったかの如くであるが、他面において、Dは、「四号実務指針は、金融機関が自己査定した結果について、特に償却・引当が適正かどうかをチェックする指針になるものであるから、この指針については金融機関自体も拘束される(原審証言)」などと供述し、また、Eも、「資産査定通達等が出されたことで、従来の処理の仕方は当然変わったと判断した。これらが決算経理をやっていく場合の手掛かり、基準であったと思う。各行はそれに従って平成一〇年三月の決算経理をやったのだろうと思う。資産査定通達に書かれていることを逸脱することはもちろん駄目だと思う。資産査定通達や追加Q&AにおいてⅣ分類とされたものは、償却・引当をしなくてはいけないと考えていた」などと供述している上、三人とも、「資産査定通達等」から大きく逸脱した会計処理をしてよいとか、いわゆる税法基準による会計処理こそが平成一〇年三月期における「公正なる会計慣行」であるとまでは述べていないのであるから、これらの証言は上記の判断を左右するものではない。


 また、本件後、金融検査マニュアルに基づいて金融庁(金融監督庁)が行った主要銀行に対する検査(当審弁一三四)において、他行においても、貸出金分類額及び償却・引当額について、自己査定結果と当局による検査結果との間に乖離があったことが認められるが、関係証拠によれば、長銀ほか一行(この一行も証券取引法違反に問われている)が乖離額の合計額のかなりの部分を占めていることが窺われるのであり、当審弁一三四は、長銀ほか一行を除くその余の銀行も「資産査定通達等」の示す基準から大幅に逸脱する会計処理をした事実を示すものではないから、金融庁の検査結果をもって、いわゆる税法基準が平成一〇年三月期決算時における「公正なる会計慣行」であることを示すことにはならない。


 五 さらに、所論にかんがみ、若干補足するに、


 (1) 「資産査定通達」や「九年事務連絡」は、あくまでも行政組織内部の通達や事務連絡であり、また、「四号実務指針」は、日本公認会計士協会内部における監査上の指針であり、それ自体が法規範性を有するものでないことはいうまでもない。

 しかし、これらの通達や事務連絡は、金融機関の監督官庁が、その検査等に当たっての要点について一定の枠組みを定めたものであるから、その検査等を受ける金融機関の側にも、これに沿った対応が求められるのは当然のことであり、また、「四号実務指針」も、実際に金融機関の監査を担当する立場から、金融機関が作成する自己査定基準が、これと整合性を保つ必要があるものとして策定されたものであるから、自己査定に当たる金融機関の側にも、これに沿った対応が求められるのも当然のことであるといえる。しかも、全国銀行協会連合会は、「資産査定通達」については「資産査定Q&A」、「九年事務連絡」については「追加Q&A」として、これらの通達と事務連絡の内容やこれらに対する一般的な考え方を公表して各金融機関に送付し、その内容を各金融機関に周知徹底させているものである。そしてさらに、「資産査定通達等」の発出や公表から早期是正措置制度の導入までに約一年という、準備期間も与えられ、現に長銀においても、「資産査定通達等」の発出を受けて、検討を重ね、自己査定基準を作って、対策を講じているのである。


しかも、本件の有価証券報告書(原審甲三)において、「重要な会計方針」の表中の区分七「引当金の計上基準」(1)貸倒引当金の項には、「四号実務指針」及び改正決算経理基準に従った処理をした旨の記載がなされてもいるのである。

 これらの点に徴すれば、平成一〇年三月期の決算時において、「資産査定通達等」の定める基準に基本的に従うことが「公正なる会計慣行」となっていたというべきであり、その反面、「資産査定通達等」の定める基準から大きく逸脱する会計処理は、もはや「公正なる会計慣行」とはいえなくなっていたというべきである。



もっとも、この新しい基準が厳格に実施され、定着するのには複数年を要することが想定されていたであろうが、そのことは、従前行われていた旧来の基準が依然として「公正なる会計慣行」であることを根拠づけるものではなく、新しい基準に基本的に従うことが「公正なる会計慣行」であるとすることと矛盾するものではない。

 (2) また、従前許容されていたいわゆる税法基準の根拠となる、平成五年一一月二九日付け金融検査部長通達蔵検第四三九号「不良債権償却証明制度等実施要領について」(「不良債権償却証明制度実施要領通達」、原審甲二一七)は、平成九年七月四日付け金融検査部長通達蔵検第二九六号により、「金融機関等をめぐる環境変化等を踏まえ、今後は、金融機関等が法人税基本通達等に基づき自ら行うことが適当と考えられる」との理由で廃止され(原審弁五一)、同月三一日に改正された決算経理基準では、銀行の貸出金に関する償却・引当について、「(イ)回収不能と判定される貸出金等については、債権額から担保の処分可能見込額及び保証による回収が可能と認められる額を減算した残額(「回収不能額」)を償却する。ただし、担保が処分されていない等の事情により、償却することが適当でないと判定される貸出金等を除く」、「(ロ)債権償却特別勘定への繰入れは、回収不能と判定される貸出金等のうち上記(イ)により償却するもの以外の貸出金等については回収不能額を、最終の回収に重大な懸念があり損失の発生が見込まれる貸出金等については債権額から担保の処分可能見込額及び保証による回収が可能と認められる額を減算した残額のうち必要額を、それぞれ繰り入れるものとする」などと定めて、それまでの税法基準に基づく償却・引当に関する会計処理の方法を削除し、個々の貸出金ごとに回収不能と判定されるかどうか、あるいは最終の回収に重大な懸念があり損失の発生が見込まれるかどうかを判断した上で、その必要額を償却・引当すべきものとしたことが認められる。


 もっとも、貸倒損失に関する税法上の基本通達自体には変更がなく、平成一〇年三月期においては、会計慣行の変更に伴う税法上の手当て(いわゆるセーフティーネット)となる税効果会計が導入されておらず、この税効果会計は翌平成一一年三月期から前倒し適用が認められることになった。このように、決算経理基準等が改正されながら、税法上の手当てが同時になされなかったことは、行政として遺憾なことといわざるを得ないが、しかし、法人税法上の取扱いと商法上の会計処理の在り方とは、その目的や趣旨が自ずと異なるものであるから、商法二八一条以下の「会社の計算」に関する諸規定に基づく会計処理について、従来の税法基準によらない基準が用いられたとしても、そのことゆえに、従来の基準が依然として「公正なる会計慣行」であるということにはならない。平成一〇年三月期の決算において、「資産査定通達等」の示す基準に基本的に従うべきことは金融機関の共通の認識となっていたことは既に述べたとおりであるから、貸倒損失に関する税法上の基本通達には変更がなく、税効果会計も導入されてはいなかった事実は何ら上記の判断を左右しない。

 (3) 所論は、「償却・引当の義務がある場合を定める法規範としての「公正なる会計慣行」は、犯罪構成要件そのものというべきであるから、罪刑法定主義の見地から、会計基準を変更するには、国会の議決である法律で定められるのが原則ではあるが、これが現実的でないことから、従来の会計慣行の延長線上で、関係者の了解に基づく会計慣行が定着していく場合には、法律という形式にこだわる必要はないと思われる。しかし、本件の場合のように従来の会計基準との連続性、継続性を否定する断絶的な新会計基準を即時に定立しようとする場合には、罪刑法定主義の要請から、従来の会計基準を否定して新しい会計基準に従わなければならないことが、法律により根拠づけられること、あるいは企業会計審議会による企業会計原則の変更によるべきこと、あるいはこれに準ずるオーソリティーによる公表や周知徹底が必要であるのに、本件の場合、そのような手順が何らとられていない」などと主張する。


 しかし、有価証券虚偽報告罪及び違法配当罪は、それぞれ証券取引法、商法によってその構成要件が一義的に規定されている。もっとも、その内容としての有価証券報告書の記載の虚偽性や利益配当の法令違反の認定・判断は、「公正なる会計慣行」によって決せられることなるが、「公正なる会計慣行」は、その性質上、法律ないしこれに準ずる形式によって定めることは困難であることに照らすと、そのような形式で定められなければならないものではなく、要は、金融機関に身を置く通常人を基準として、「公正なる会計慣行」が何なのかが理解でき、処罰される行為とそうでない行為が区別できれば足りるものと解せられる。本件において、改正決算経理基準や「資産査定通達等」の新たな基準の策定の手続が適正であること、その内容も明確といってよいこと、長銀を含めた金融機関の関係者らに周知徹底されていたといえること、その結果、新たな基準に基本的に従って会計処理をすべきことが金融機関の共通の認識となっていたことなどが認められるから、平成一〇年三月期の決算時において準拠すべき「公正なる会計慣行」が何なるかを理解することが必ずしも困難ではなく、処罰される行為とそうでない行為が明確に区別できないともいえないから、罪刑法定主義に違反するものとまではいえない。


なお、このような理解は、「資産査定通達等」それ自体に法規範性を認めるものでなく、「資産査定通達等」は「公正なる会計慣行」を推知するための判断資料ともいうべき性格を有するにとどまるものと解するものであるから、「資産査定通達等」そのものに法規範性を認めたとして罪刑法定主義の観点から問題であるという非難も当たらないというべきである。

また、罪刑法定主義の観点からは、会計慣行の変更に伴って税法上の手当てが同時にされなかった点は格別問題とはならないというべきである。

(裁判長裁判官 仙波 厚 裁判官 嶋原文雄 秋山 敬)