偽計による自白 最大判昭和45年11月25日

偽計による自白 最大判昭和45年11月25日

■ 事案の概要
被告人は、法定の除外事由がないのに、妻と共謀し、昭和38年10月ころから昭和40年11月1日ころまでの間、被告人方において、旧日本軍拳銃及び実包3発を隠匿所持したとして、鉄砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反で有罪判決を言い渡された。
 被告人は、有罪判決の証拠とされた自白証書は、欺罔と誘導を用いた違法な取調べ方法によるものであるとして、任意性を欠くと主張した。


■ 判旨
  主   文

 原判決を破棄する。
 本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

       理   由

 弁護人前堀政幸の上告趣意のうち、憲法違反を主張する点について。
 所論は、第一審判決の事実認定に用いられた被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和四〇年一一月九日付警部補A作成)中の被告人が妻Bと共謀して本件拳銃および実包を所持した旨の自白は、刑訴法三一九条一項の「その他任意にされたものでない疑のある自白」にあたり、証拠とすることができないものであるのにかかわらず、右自白に任意性があるとした原判決の判断は、憲法三八条一、二項の解釈を誤り、憲法三一条にも違反するというのである。


 よつて検討するに、原判決が認定した所論供述調書の作成経過は、次のとおりである。すなわち、当初伏見警察署での取調では、被告人の妻Bは、自分の一存で本件拳銃等を買い受けかつ自宅に隠匿所持していたものである旨を供述し、被告人も、本件拳銃は妻Bが勝手に買つたもので、自分はそんなものは返せといつておいた旨を述べ、両名共被告人の犯行を否認していたものであるところ、その後京都地方検察庁における取調において、検察官増田光雄は、まず被告人に対し、実際はBがそのような自供をしていないのにかかわらず、同人が本件犯行につき被告人と共謀したことを自供した旨を告げて被告人を説得したところ、被告人が共謀を認めるに至つたので、被告人をBと交替させ、Bに対し、被告人が共謀を認めている旨を告げて説得すると、同人も共謀を認めたので直ちにその調書を取り、更に同人を被告人と交替させ、再度被告人に対しBも共謀を認めているがまちがいないかと確認したうえ、その調書を取り、被告人が勾留されている伏見警察署の警部補Aに対し、もう一度被告人を調べ直すよう指示し、同警部補が被告人を翌日取り調べた結果、所論主張の被告人の司法警察員に対する供述調書が作成された、というのである。

 思うに、捜査手続といえども、憲法の保障下にある刑事手続の一環である以上、刑訴法一条所定の精神に則り、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ適正に行なわれるべきものであることにかんがみれば、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れ自白を獲得するような尋問方法を厳に避けるべきであることはいうまでもないところであるが、もしも偽計によつて被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定すべきであり、このような自白を証拠に採用することは、刑訴法三一九条一項の規定に違反し、ひいては憲法三八条二項にも違反するものといわなければならない。



 これを本件についてみると、原判決が認定した前記事実のほかに、増田検察官が、被告人の取調にあたり、「奥さんは自供している。誰がみても奥さんが独断で買わん。参考人の供述もある。こんな事で二人共処罰される事はない。男らしく云うたらどうか。」と説得した事実のあることも記録上うかがわれ、すでに妻が自己の単独犯行であると述べている本件被疑事実につき、同検察官は被告人に対し、前示のような偽計を用いたうえ、もし被告人が共謀の点を認めれば被告人のみが処罰され妻は処罰を免れることがあるかも知れない旨を暗示した疑いがある。要するに、本件においては前記のような偽計によつて被疑者が心理的強制を受け、虚偽の自白が誘発されるおそれのある疑いが濃厚であり、もしそうであるとするならば、前記尋問によつて得られた被告人の検察官に対する自白およびその影響下に作成された司法警察員に対する自白調書は、いずれも任意性に疑いがあるものといわなければならない。

 しかるに、原判決は、これらの点を検討することなく、たやすく、本件においては虚偽の自白を誘発するおそれのある事情が何ら認められないとして、被告人の前記各自白の任意性を認め、被告人の司法警察員に対する供述調書を証拠として被告人を有罪とした第一審判決を是認しているのであるから、審理不尽の違法があり、これを破棄しなければいちじるしく正義に反するものというべきである。よつて、その余の上告論旨について判断するまでもなく、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、さらに審理を尽くさせるため、同法四一三条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 裁判官松田二郎は、退官のため評議に関与しない。
 検察官横井大三、同内田實 公判出席
  昭和四五年一一月二五日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    石   田   和   外
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    長   部   謹   吾
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    岩   田       誠
            裁判官    下   村   三   郎
            裁判官    色   川   幸 太 郎
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    松   本   正   雄
            裁判官    飯   村   義   美
            裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    関   根   小   郷
 裁判官 草鹿浅之介は、退官のため署名押印することができない。
         裁判長裁判官    石   田   和   外