ガラス多孔体事件 知財高裁平成20年5月29日 平成19年(ネ)第10037号

ガラス多孔体事件 知財高裁平成20年5月29日 平成19年(ネ)第10037号

法的判断のみ

    主   文

 1 原判決を取り消す。
 2 原告の請求を棄却する。
 3 訴訟費用は,第1,2審を通じて原告の負担とする。

       事実及び理由

第1 当事者の求めた裁判
 1 被告(控訴人)
   主文同旨
 2 原告(被控訴人)
 (1)本件控訴を棄却する。
 (2)控訴費用は,被告の負担とする。

第2 事案の概要
 原告は,以下のとおり主張して,被告に対して損害賠償の請求をした。すなわち,原告は,株式会社環境保全サービス(以下「環境保全サービス」という。)と高知大学との共同研究契約に基づく研究の過程で発明をしたところ,被告が,環境保全サービス及び原告に無断で,自らを発明者として第三者に特許を受ける権利を譲渡し,当該第三者に特許出願させたこと,上記発明が自己の研究成果であるかのように偽って文部科学省助成金の交付申請をしたこと,及び学術団体から学術賞を受賞するよう仕向けたことにより,原告の発明者名誉権,名誉権及び名誉感情を侵害したと主張して,原告が被告に対し,民法709条,710条の不法行為に基づく損害賠償請求として1000万円及びそれに対する平成17年7月11日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求めて本訴提起した。原審は,上記原告の請求を100万円の限度で(本件出願についての発明者名誉権侵害の不法行為につき70万円,助成金申請の申請書における虚偽記載による名誉感情を侵害した不法行為につき30万円)を認容した。本件は,上記判決に対して被告が控訴した事案である。なお,略語については原判決と同一のものを使用する。

1 前提事実
原判決3頁1行目から17頁10行目(ただし,原判決14頁10行目から20行目までを除く。)を引用する。

2 本件における争点
(1)本願発明の発明者は原告か。
(2)被告は,本願発明を第三者に特許出願させたことにより,原告の発明者名誉権を侵害したか。
(3)被告は,本件助成金を申請したことにより,原告の名誉権を侵害したか。
(4)被告は,学術賞を受賞したことにより,原告の名誉感情を侵害したか。
(5)損害額は幾らか。

当事者の主張 略

第3 当裁判所の判断
 1 本願発明に至るまでの経緯
   原審認定の前提事実に,証拠(各項に挙げたもの)及び弁論の全趣旨によると,以下の事実が認められる。


前提事実 略

 2 争点1(本願発明の発明者は原告か。)について
 (1)はじめに

 発明とは,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度なものをいうと規定され(特許法2条1項),産業上利用することができる発明をした者は,・・・その発明について特許を受けることができると規定され(同法29条1項柱書き),

また,発明は,その技術内容が,当該の技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されたときに,完成したと解すべきであるとされている(最高裁昭和52年10月13日第一小法廷判決民集31巻6号805頁参照)。




したがって,発明者とは,自然法則を利用した高度な技術的思想の創作に関与した者,すなわち,当該技術的思想を当業者が実施できる程度にまで具体的・客観的なものとして構成する創作活動に関与した者を指すというべきである。当該発明について,例えば,管理者として,部下の研究者に対して一般的管理をした者や,一般的な助言・指導を与えた者や,補助者として,研究者の指示に従い,単にデータをとりまとめた者又は実験を行った者や,発明者に資金を提供したり,設備利用の便宜を与えることにより,発明の完成を援助した者又は委託した者等は,発明者には当たらない。もとより,発明者となるためには,一人の者がすべての過程に関与することが必要なわけではなく,共同で関与することでも足りるというべきであるが,複数の者が共同発明者となるためには,課題を解決するための着想及びその具体化の過程において,一体的・連続的な協力関係の下に,それぞれが重要な貢献をなすことを要するというべきである。

 上記の観点から,本願発明の内容及び原告の関与の程度を総合考慮して,原告が本願発明の発明者に当たるか否かについて,判断する。

 (2)本願発明の内容

   ア 本件明細書(甲1)の記載

   (ア)特許請求の範囲

① 請求項1
 ガラス粉末と水の混練物を水熱処理を行うことにより,水が拡散した固化体を得て,該固化体を加熱することにより発泡させて,内部に気孔を有する多孔体として作製したことを特徴とするガラス多孔体。

② 請求項2
 ガラス粉末と水の混練物をオートクレーブ内で加圧した後,この圧力状態を保ったまま所定の温度まで加熱して水熱条件下で成形し,一定の時間保持した後冷却することにより水が拡散した固化体を得て,該固化体を加熱炉内で所定時間加熱することにより発泡させて,内部に気孔を有する多孔体として作製したことを特徴とするガラス多孔体。

③ 請求項3
 気孔が閉気孔である請求項1又は2記載のガラス多孔体。

④ 請求項4
 ガラスを水とともに水熱処理を行うことによりガラス中に水を拡散させ,その後加熱することにより発泡させて,内部に閉気孔を有するように作製することを特徴とするガラス多孔体の製造方法。

⑤ 請求項5
 ガラス粉末に水を加えて混練し,オートクレーブ内で所定の圧力で加圧した後,この圧力を保ったまま所定の温度まで加熱して水蒸気による水熱条件下で成形し,一定の時間保持した後に室温まで冷却することにより水が拡散した固化体を得て,該固化体を加熱炉内で所定時間加熱して発泡させて,内部に閉気孔を有するように作製することを特徴とするガラス多孔体の製造方法。

⑥ 請求項6
 原材料としての廃ガラスを粉砕してから分級し,得られたガラス粉末に水を加えて混練してからピストン・シリンダタイプのオートクレーブ内に充填して所定の圧力で加圧した後,この圧力を保ったまま所定の温度まで加熱して水熱条件下で成形し,一定の時間保持した後に室温まで冷却することにより水が拡散した固化体を得て,この固化体を電気炉内で所定時間加熱して発泡させて,内部に閉気孔を有するように作製することを特徴とするガラス多孔体の製造方法。

⑦ 請求項7
 ガラス粉末の粒子直径が50μm以下である請求項4,5,又は6に記載のガラス多孔体の製造方法。

⑧ 請求項8
 ガラス粉末に対する添加水量が10重量%以上である請求項4,5,6又は7に記載のガラス多孔体の製造方法。

⑨ 請求項9
 オートクレーブ内のガラス粉末を加圧する圧力が10MPa以上である請求項4,5,6,7又は8に記載のガラス多孔体の製造方法。

⑩ 請求項10
 加熱炉による加熱温度が750℃以上である請求項4,5,6,7,8又は9に記載のガラス多孔体の製造方法。

⑪ 請求項11
 オートクレーブ内の昇温速度と降温速度を毎分1℃とした請求項4,5,6,7,8,9又は10に記載のガラス多孔体の製造方法。

(イ)発明の詳細な説明
① 「本発明はガラス多孔体及びその製造方法に関し,特には断熱材とかプラスチックの軽量化及び高強度化を目的とする充填剤等として多用途に使用可能な汎用性を有するガラス多孔体とその製造方法に関するものである。」(【0001】【発明の属する技術分野】)

② 「しかしながら,従来のガラスを原料として多孔体を作製する方法は,原材料としてガラス以外に結合材としての粘土及び発泡剤としての石灰石等を添加する必要があり,シラスバルーンと称呼される中空ガラス球も原材料が天然物であるため,原材料の選択及び確保面での限界がある上,作製時に発泡現象が均一に起こらずに品質の均一性が劣る難点があり,製品化した際の歩留まりが悪化してしまうという課題がある。また,開気孔を多く含有するガラス多孔体であるため,浮水性が得られないという問題がある。」(【0004】【発明が解決しようとする課題】)

③ 「そこで,本発明は,上記の問題点を解決して,原材料として,各種の廃ガラスその他のガラスのみを用いて水蒸気による水熱処理を行うことにより,結合材及び各種の化学薬品を不要とし,しかも均一な発泡現象により気孔が閉気孔であって品質が均一で浮水性を保持し,製造時の歩留まりが良好でコストが低廉化されたガラス多孔体及びその製造方法を提供することを目的とする。」(【0008】)。

④ 「本発明は上記目的を達成するために,ガラス粉末と水の混練物を水熱処理を行うことにより,水が拡散した固化体を得て,該固化体を加熱することにより発泡させて,内部に気孔を有する多孔体として作製したガラス多孔体,及びガラス粉末と水の混練物をオートクレーブ内で加圧した後,この圧力状態を保ったまま所定の温度まで加熱して水熱条件下で成形し,一定の時間保持した後冷却することにより水が拡散した固化体を得て,該固化体を加熱炉内で所定時間加熱することにより発泡させて,内部に気孔を有する多孔体として作製したガラス多孔体を提供する。その気孔は閉気孔となっている。」(【0009】)

⑤ 「そして,ガラスを水とともに水熱処理を行うことによりガラス中に水を拡散させ,その後加熱することにより発泡させて,内部に閉気孔を有するように作製するガラス多孔体の製造方法,及びガラス粉末に水を加えて混練し,オートクレーブ内で所定の圧力で加圧した後,この圧力を保ったまま所定の温度まで加熱して水蒸気による水熱条件下で成形し,一定の時間保持した後に室温まで冷却することにより水が拡散した固化体を得て,該固化体を加熱炉内で所定時間加熱して発泡させて,内部に閉気孔を有するように作製するガラス多孔体の製造方法,更に原材料としての廃ガラスを粉砕してから分級し,得られたガラス粉末に水を加えて混練してからピストン・シリンダタイプのオートクレーブ内に充填して所定の圧力で加圧した後,この圧力を保ったまま所定の温度まで加熱して水熱条件下で成形し,一定の時間保持した後に室温まで冷却することにより水が拡散した固化体を得て,この固化体を電気炉内で所定時間加熱して発泡させて,内部に閉気孔を有するように作製するガラス多孔体の製造方法を提供する。」(【0010】)

⑥ 「原材料としてガラス粉末の粒子直径が50μm以下であり,ガラス粉末に対する添加水量は10重量%以上とする。オートクレーブ内でガラス粉末を加圧する圧力は10MPa以上とし,加熱炉による加熱温度は750℃とする。また,オートクレーブ内の昇温速度と降温速度を毎分1℃とする。」(【0011】)


⑦ 「かかるガラス多孔体及びその製造方法によれば,原材料として各種の廃ガラスその他のガラス粉末がオートクレーブ内で水蒸気のみを用いた水熱処理によって成形され,一定の時間保持した後に室温まで冷却することによって内部に水が拡散した固化体となる。この固化体を加熱炉内で所定時間加熱することによってガラス自体が軟化すると同時に水を放出するので,高温で蒸気として放出されて発泡が行われて,その泡が気泡となって所定の密度と圧縮強度及び熱伝導率を有するとともに軽量で浮水性を保持した閉気孔のガラス多孔体が得られる。」(【0012】)

⑧ 「その結果,本発明を実施するための好ましい水熱条件等を整理すれば,次記のようになる。

 ・ ガラスの種類:青色,緑色,茶色,透明(全種類)
 ・ 添加する水の量:5−20wt%(10−15wt%が望ましい)
 ・ 成形する圧力:5MPa以上(10MPa以上が望ましい,10MPaでも十分)
 ・ 成形する温度:150−250℃(180℃以上が望ましい)
 ・ 成形するための加熱速度,冷却速度:低速度(例えば毎分1℃が望ましい)
 ・ 発泡させる温度:650−850℃(750℃が望ましい。低温だと発泡不十分,高温だと発泡体が破裂,収縮して気泡が小さくなる)
 ・ 発泡させる時間:比較的短時間でも十分(実験では1時間を使用)
 ・ 発泡させるための加熱速度:低速度(実験では毎分10℃を使用した。高速だと固化体が割れる。)」(【0031】)

⑨ 「以上詳細に説明したように,本発明によれば原材料として各種の廃ガラスをオートクレーブ内で水蒸気のみを用いた水熱処理を行ってから一定の時間保持した後に室温まで冷却することによって固化体となり,この固化体を加熱炉内で所定時間加熱して発泡させることにより,所定の密度と圧縮強度及び熱伝導率を有しているとともに軽量で浮水性を保持した閉気孔のガラス多孔体を得ることができる。特に本発明では従来のガラスを原料とする多孔体のように,ガラス以外の材料,例えば結合材としての粘土とか発泡剤としての石灰石等は添加する必要がなく,かつ,アルカリ溶液とか酸溶液及び尿素等は用いていないため,加熱炉の消費エネルギーの低下にも伴って製造コストを低廉化することができる。」(【0032】)


⑩ 「更に本発明で使用する原材料は各種の廃ガラスであるため,従来の中空ガラス球のように天然物の原材料は用いる必要がなく,原材料の選択及び確保面での限界は生じない。また,水熱条件下で成形した後の加熱炉による発泡現象は均一に起こるため,ガラス多孔体の品質は均一であるとともに閉気孔を多く含有していることにより軽量で浮水性を有しており,製造時の歩留まりを高く維持することができる。」(【0033】)

⑪ 「従って本発明によれば,原材料として各種の廃ガラスのみを用いて,水蒸気を用いた水熱処理を行うことにより,従来必要とされている結合材及び各種の化学薬品を不要とし,しかも均一な発泡現象により品質が均一で浮水性を保持し,製造コストが低廉化されたガラス多孔体及びその製造方法が提供される。」(【0034】)

イ 本願発明の内容及び特徴
 上記1(5)及び2(2)アを総合すると,本件明細書においては,「特許請求の範囲」として,①ガラスを水熱条件下で処理してガラス中に水を拡散させてから加熱し,発泡させて多孔体と中空ガラス球の製造方法,②ガラス粉末に水を加えて加圧しながら水熱条件下で成形し,その成形体を加熱して発泡させ,ガラス多孔体を作成する方法,③ガラス粉末を高温の水蒸気中で処理してから,加熱して発泡させ中空ガラス球を製造する3つの方法が記され,発明が解決しようとする課題として,①ガラスのみから多孔体を作製できる,②多孔体の気孔は閉じており,水に浮かせることができる,③廃ガラスを原料に使用できる,④水熱処理を行うことにより,均一な原料が合成できるために,中空ガラス球の製造歩留まりが高いなどの課題及び解決方法が記載されている。本願発明の特徴的部分は,ガラス粉末と水の混練物への圧力を10MPa以上,加熱温度を750℃以上,昇温速度と降温速度を毎分1℃とすることにより,廃ガラスその他のガラスのみを使用し,水熱ホットプレス法を用いて水熱条件下で反応させることにより,均一な発泡現象により気孔が閉気孔であって,水に浮くガラス多孔体を製造することができるという有用な効果を見いだした点にあるということができる。
    (この点について,被告は,本件請求項1の発明は無加圧発泡に関する発明であって,「水熱ホットプレス方法を用いることなく,ガラスを水とともに水熱処理を行うことによりガラス中に水を拡散させ,その後加熱することにより発泡させることにより,内部に閉気孔を有するように作製することを特徴とするガラス多孔体を製造することができることを見いだした点」も発明の特徴的部分に含まれると主張する。しかし,本件請求項1の発明が加圧発泡に関する発明である点は,原判決30頁3行目から31頁7行目までのとおりであるから,これを引用する。この点の被告の主張は採用することができない。)
   ウ 第3報告書記載の本件多孔化技術と本願発明との対比
     第3報告書記載の本件多孔化技術は,750℃で1時間の再加熱したという一定の条件の下で多孔性現象が確認されたことを示しているにすぎず,本願発明の技術的思想の特徴的部分のうちの「浮水性」,「閉気孔」という課題及び解決方法が確認されていないというべきである。
     この点,第3報告書が作成された時点では,同報告書には閉気孔についての記載がないこと,一塊りの発泡体の気孔をピクノメータで測定した結果,開気孔が52.01%,閉気孔が47.99%とほぼ同量であること(乙58の1,105)によれば,閉気孔についての認識はなかったものと認められる。これに対して,原告の意見書(甲74)には「閉気孔になると考えるのが常識です。」との記載があるが,これは,乙105によると完全な液体の中で気泡が生成される場合を指したものということができ,第3報告書に添付したSEM写真から気孔が閉気孔であるということはできない。原告は,「水熱ホットプレス法及び多孔性ガラスの作製による廃ガラスのリサイクル」(乙12),Mの修士論文(乙2の1)及び博士論文(甲40)に掲載した第3報告書のガラス発泡体の断面のSEM写真と同じ写真について閉気孔と説明していることをも根拠とするが,第3報告書作成時点において,添付のSEM写真から気孔が閉気孔であることが明らかでなかったとの前記の認定を左右するものではない。
     以上のとおり,第3報告書記載の本件多孔化技術は,本件明細書の記載中の「本発明を実施するための好ましい水熱条件等」であるガラス粉末の種類,添加する水の量,成形する圧力・温度,成形するための加熱速度,冷却速度:低速度,発泡させる温度,発泡させる時間,発泡させるための加熱速度:低速度について,実験等により検証した知見を開示したものと評価することはできない。
     確かに,第3報告書記載の本件多孔化技術と本願発明とを対比すると,第3報告書記載の本件多孔化技術は,①本件請求項3ないし6を含むものではないが,②本件請求項1,2を含んでいることが認められる(被告も,本件請求項2,5,6の発明が第3報告書に開示された技術情報と同一であることを争わない。)。
     しかし,化学分野においては,ある特異な現象が確認されたとしても,そのことのみによって直ちに,当該技術的思想を当業者が実施できる程度に具体的・客観的なものとして利用できることを意味するものではないというべきであり,その再現性,効果の確認等の解明が必要な場合が生ずることに鑑みると,たとえ第3報告書記載の本件多孔化技術が,本件請求項1,2を含むものであったとしても,第3報告書において多孔性現象が確認された段階では,いまだ,当業者が実施できる程度の具体性,客観性をもった技術的思想を確認できる程度に至ったというべきではない。
     したがって,原告が,Mによる,第3報告書における本件多孔化技術の確認に対して,何らかの寄与・貢献があったからといって,そのことが,直ちに,原告が発明者であると認定する根拠となるものではない。


 (3)本願発明の発明者
 前記1及び2(2)で認定した事実によると,本願発明は,Mが,白金坩堝を使用して750℃まで加熱した際に多孔性現象を発見したことが端緒となったこと,Mは,前記多孔性現象の効果及び有用性などを確認し,検証するために,被告の指導を受けながら,水熱ホットプレスをする条件等を変え,実験を重ねて,有用性に関する条件を見いだし,その結果に基づいて,本件修士論文を作成したことが明らかである。

 本願発明と前記1で認定した本件修士論文の内容とを対比すると,本件修士論文には本願発明のすべての請求項について,その技術的思想の特徴的部分が含まれているので,遅くともMが本件修士論文を作成した時点において,当業者が反復実施して技術効果を挙げることができる程度に具体的・客観的な構成を得たものということができ,本願発明が完成したものということができる。

 原告は,Mは原告の研究を補助したにすぎず,本願発明に係る実験を遂行するだけの能力はなかったと主張し,原告の陳述書(甲20,29,30)にも同旨の記載がある。しかし,前記認定のMの経歴,すなわち,来日前のコロンビアでの講師及び研究員,来日後の研究生及び研修生としての経歴からみて,ガラス,セラミックス等の無機化学だけでなく,有機化学を含む化学全般の専門知識と実験経験を有しており,十分な研究能力を有していると認められる。そしてたとえ,研究を開始した時点において,水熱分野についての知識は乏しかったとしても,自ら水熱分野の専門知識を取得することは困難ではないといえる。

したがって,Mの当時の地位を理由に同人が本願発明の発明者ではないということはできない。

なお,Mは当時,自らの修士論文の作成作業と平行して本件実験を行なっていたものであるが,前記1で認定したとおり,修士論文の作成作業はほとんど進んでおらず,被告に相談の上,その課題を変更したものであるから,本件実験に相当の時間と労力を費やしていたことは容易に推認できるところであり,上記をもってMが発明者でないことを何ら基礎付けるものとはいえない。

(4)本願発明についての原告の関与    
前記1及び2(2)で認定した事実によると,原告のMに対する指導,説明,指示等の具体的内容としては,①水熱化学の分野ないし水熱ホットプレス法について一般的な説明をし,本件共同研究において行なうべき実験の手順を説明したこと,②DTA分析を指示したこと,③多孔性現象発見の後にSEM写真の撮影を指示したことであるが,①,②については,前記認定のとおり,本願発明とは直接な関係はなく,③についても一般的な指導にとどまる。そうすると,原告は,本願発明に至るまでの過程において,Mから実験結果の報告を受けていたにとどまり,本願発明の有用性を見いだしたり,当業者が反復実施して技術効果を挙げることができる程度に具体的・客観的な構成を得ることに寄与したことはない。原告は,Mに対して,管理者として,一般的な助言・指導を与えたにすぎないので,本願発明の発明者であると認めることはできない。

  上記の点に関連して,原告は,以下のとおり主張する。しかし,いずれも理由がない。すなわち,

ア 原告は,本願発明が本件共同研究の過程においてなされた以上,原告が発明者であると主張する。
 しかし,前記1及び2(2)で認定した事実によると,本件共同研究の目的は,「ガラスビンの粉砕材を低温で固化させるための技術開発を行う」ものであり,要するにリサイクルのために廃ガラス等のガラスの粉砕材を低温で固化する技術であり,これと,ガラス固化体を再加熱することによって得られるガラス多孔体の製造とは異なる。すなわち,Mによるガラス多孔体の発見は本件共同研究の目的・内容とは異なるものであり,それをさらに具体化し,発明として完成するか否かは本件共同研究の目的の範囲外のことといえる。原告の上記主張は採用できない。

イ 原告は,白金坩堝を使用して750℃の再加熱を指示したのは原告であるから,原告が発明者であると主張する。そして,原告の陳述書(甲29)には,「100℃から250℃までだらだらとした重量減少を示したが,250℃でもまだ多量の水がガラス中に残存すること,及び熱分析装置が故障で高温まで測定ができないことから,白金坩堝で焼成することを,Mに指示した。白金坩堝はYが管理しているから,Yに白金坩堝の供与を指示,Mにはこれを用いて高温で焼成,温度の上昇とともにどのような変化を生じるかを見るよう指示した。」,「あまり強度が得られない固化体に関して,500℃以上の熱分析が十分に使えないということから,白金坩堝を使って,別途に炉を用意し,段階的に昇温させながら,その都度手早く重量を測れば,粗いながらも高温まで熱天秤の代用としてその情報が得られるということから,Mに白金坩堝による実験を指示したものである。」との記載がある。

 しかし,上記陳述書の内容は措信できない部分が多く,原告の上記主張は採用できない。

(ア)証拠(乙36)によると,DTA法は連続的に昇温する試験方法であり,1000℃以上まで昇温可能なTG−DTA装置が使用可能であるが,固化ガラスは高温では溶融するので,DTA法では多孔性現象を観察することができず,原告によるDTA法の指示が,本願発明に結びついたものと解することはできない。

(イ)原告は,本人尋問において,白金坩堝について,高さ5センチから10センチの間位であって,相当大きかったと供述するが,前記1で認定したとおり,Mが使用した白金坩堝は大小2種類あるうちの小さな方で,証拠(乙31,32)によると,小さい方の白金坩堝は高さ約3cm,重さ22.6gであるから,原告の上記供述は事実に反するものである。

(ウ)原告は,陳述書(甲29)において,白金坩堝を使用した理由としてDTA装置が故障したと説明しているが,(ア)で説示したとおりDTA法では多孔性現象を観察することができなかったものであるし,原告の上記陳述以外にDTA装置の故障を裏づける事情は認められないのであるから,上記陳述部分は,採用の限りではない。また,原告は,白金坩堝を使って段階的に昇温させながらどのような変化を生じるか見るよう指示した旨述べているが,証拠(甲6の1,2,乙22の4)によると,Mが白金坩堝を使って行なった再加熱は,700℃及び750℃で1時間ずつと2段階の温度設定によるものであり,段階的な昇温による変化の観察という原告主張の指示内容とは整合しないものである。

(エ)証拠(乙34,36)によると,TG−DTA装置では,1000℃まで昇温する場合,試料を入れる容器として白金容器を使用するものの,本件ガラスのように溶融する試料については,容器から溢れて装置を破損するおそれがあるため,高温の試験は不適切である。これに対して,白金坩堝による試験は,ガラス試料を電気炉で加熱した後,取り出して試料の熱重量変化を測定するのに適する。本願発明の技術的思想の特徴部分は,固化ガラスを加熱すること,電気炉の加熱処理が発泡作用を引き起こすことにある以上,白金坩堝によって試験を行ったことこそが本願発明の技術的思想の特徴に結びついたものといえる。すなわち,DTA装置による加熱と白金坩堝による加熱とでは,いずれも固化ガラスを加熱するという点では同じ処理であるが,発泡現象を引き起こし多孔化をもたらしたのは後者の加熱処理である。

 そうすると,本件全証拠によるも,原告が,Mに対して,DTAを使用する旨指示したことはあるが,白金坩堝を使用する旨指示したことを認めることはできず,かえって,Mに対して,白金坩堝の使用を勧めたのは被告であることは明らかである(前記1及び2(2))以上,この点の原告の主張を採用することはできない。

ウ 原告は,ガラスの発泡体の意義・有用性を見いだしたのは原告であると主張する。そして,原告の陳述書(甲29)及びKの陳述書(甲53)にもこれに沿った記載がある。

 しかし,原告はMから見せられたガラスの発泡体の形状について,「綿のような綿よりも軽いふわふわしたもの」と述べている(甲20)が,その実際の形状(乙3,検乙2)とは異なる。また,本件全証拠をもってしても,Mによるガラスの発泡体の発見以降,原告が,その発生条件を検証するための実験を指示するなど,当業者が反復実施して技術効果を挙げることができる程度に具体的・客観的な構成を得ることに寄与する行為をしたことは認められない。むしろ,原告は,これまで多数の特許出願に関与した経験があるにもかかわらず(乙77),本願発明につき自ら特許出願をしておらず,高知大学に対して発明届も提出していない(原告本人尋問の結果)。また,前記1で認定したとおり,高知大学に提出した本件共同研究の実施報告書(乙60)には多孔性現象に関する記載が見当たらない。さらに,原告は前記1で認定したMの国際会議での報告に対しても何ら異議を述べていない。

 これに対し,原告は,原告作成の回答書(甲20)及び原告本人尋問において,①当時高知大学を含め一般に大学において,特許について侵害の調査と告訴等の特許の管理体制が非常に不備であると認識していたので発明届を提出しなかった,②発明が公知になれば特許にならなくなるので,報告書(乙60,61の1)にその発明を記載しなかったと出願をしなかった理由を説明する。しかし,①については原告が自ら特許出願していない事実と矛盾するし,②についても前記のとおりMの修士論文や国際会議での報告に異議を述べていないことと矛盾するので採用の限りではない。


 また,前記Kの陳述書には,原告がMと共に環境保全サービスに赴き,ガラスの発泡体の有用性を説明したとの趣旨の記載がある。しかし,仮にそのような事実があるのであれば,原告は,Mによる多孔性現象の発見の報告を受けた後に,ガラスの発泡体を作製したり,そのための条件を検証したりして,当業者が反復実施して技術効果を挙げることができる程度に具体的・客観的な構成を得ることを指示してしかるべきであったところ,前記のとおり,何らそのような行為をした事実は認められない。のみならず,原告の陳述書等(甲20,52の1)には,原告自身,「発泡ガラスについては,大略実験は終わっていると判断していた」,「会社との共同研究は会社に訪問した時点で終了宣言をしているわけで」との認識であったというのであり,上記Kの「実用化はこれからであると認識した。」との記載と矛盾する。したがって,原告及びKの陳述書の記載内容から原告の主張に係る上記の事実を認めることはできない。

 上記各判断に上記事実を総合すると,原告は,Mからガラス多孔体を見せられた時点及びその後の時点においても,その意義・有用性を見いだしていなかったものと解するのが相当である。

エ 原告は,Mによる多孔性現象の発見の報告を受けた直後,当該現象が,特に重要な意味を持つ旨を,Mに指摘した事実があり,この事実が本願発明に対する原告の寄与に当たる旨主張する。そして,原告本人尋問の結果及び原告の陳述書(甲29)では,第3報告書中の「この発泡現象につき,下記のとおりの『この結果は特に重要です。』との記載は,原告の指示に基づく記載である。」と述べる。

 しかし,証人Mの証言及び回答書(乙1)によると,この表現は自分がよく使う慣用句であり,自らの判断で記載したとの記載がある。現にMの本件博士論文(甲40)にも,「particularly」という表現が複数見られるところである。そして,仮に原告がMの発見した多孔性現象が重要であるとの認識を持っていたのであれば,その後に多孔体の再現等に関する実験を行なわせるはずであるところ,Mに対してそのような実験を行なうよう指示した事実は認められないし,前記認定の本件共同研究に係る報告書(乙60)にも多孔性現象についての言及がないこととも矛盾する。原告の主張は採用できない。

オ その他,原告の陳述書(甲29)には,Mに対しガラスの発泡体を10個作るよう指示したとの記載がある。しかし,Mは上記事実を否定しており,その他原告の主張を認めるに足りる証拠はない。原告の陳述書の上記記載は採用できない。

 また,原告のMに対する指示に関して,原告の陳述書(甲20,30)には「毎日のように,その日の実験の作業を指示し,結果をその都度口頭で聞き,データをその都度小生がチェックする,ということでやってきました」との記載がある。

 しかし,証人Mの証言によると,Mはこのような指導を受けたことを否定しており,原告の陳述書(甲29)では,「同時に10件を超える民間との共同研究を実施しており,一般には民間から直接実験所に派遣される人たちを指導しなければならない状況にあった」と陳述されていること,T(乙69),H(乙70)の各陳述書には,原告が水熱化学実験所に来ていたのは,数週間に1回又は数か月に1回程度であったと陳述されていることに照らすならば,原告が当時多忙な状況であったということが推認され,このような状況下で,原告が1つの研究のために上記の記載のような個別具体的な指導を行ったと認めることはできず,甲20,30の上記記載は信用することができない。

 (5)小括
 以上のとおり,本願発明の発明者はMと被告であり,原告は本願発明の発明者ではない。

 3 争点2及び3(原告の発明者名誉権ないし名誉権の侵害の有無)について
   上記2で認定したとおり,原告は本願発明の発明者ではないから,被告がTN四国に特許を受ける権利を譲渡して同社が特許出願したこと,又は,被告が自らの発明であるとして本願発明に関して本件助成金を申請したことにより,原告との関係において何ら不法行為を構成することはない。原告の主張は理由がない。
 4 結論
   以上の次第であるから,争点1ないし3に関する原告の主張は理由がないから,争点5について判断するまでもなく(なお,争点4については,被告に不服がなく,判断の限りではない。),原告の請求は理由がないこととなる。よって,原告の請求の一部を認容した原判決は不当であり,被告の本件控訴は理由があるから,主文のとおり判決する。
    知的財産高等裁判所第3部
        裁判長裁判官  飯 村 敏 明
           裁判官  上 田 洋 幸
 裁判官三村量一は,差し支えのため署名押印することができない。
        裁判長裁判官  飯 村 敏 明