最判平成21年12月18日 退職慰労金が権利濫用として許されないとした事例

事件番号
 平成21(受)233
事件名
 損害賠償等請求事件
裁判年月日
 平成21年12月18日
法廷名
最高裁判所第二小法廷
裁判種別
 判決
結果
 破棄差戻し
判例集等巻・号・頁
 集民 第232号803頁
原審裁判所名
東京高等裁判所
原審事件番号
 平成20(ネ)3247
原審裁判年月日
 平成20年10月30日

判示事項
 株式会社が株主総会の決議等を経ることなく退任取締役に支給された退職慰労金相当額の金員につき不当利得返還請求をすることが信義則に反せず権利の濫用に当たらないとした原審の判断に違法があるとされた事例

裁判要旨
 株式会社が退任取締役に対し株主総会の決議等を経ることなく支給された退職慰労金相当額の金員につき不当利得返還請求をする場合において,(1)当該会社では発行済株式総数の99%以上を保有する代表者が内規に基づく退職慰労金の支給を決裁することにより株主総会の決議に代えてきた,(2)退任取締役が上記内規に基づく退職慰労金の支給を催告したところその約10日後に上記金員の送金がされ,これにつき代表者の決裁はなかったものの,当該会社が退任取締役に対しその返還を明確に求めたのは送金後1年近く経過してからであったなど判示の事実関係の下においては,代表者が上記送金をその直後に認識していた事実や退任取締役が従前退職慰労金を支給された退任取締役と同等以上の業績を上げてきた事実の有無等につき審理判断することなく,当該会社による上記請求は信義則に反せず,権利の濫用に当たらないとした原審の判断には,違法がある。
(反対意見がある。)

参照法条
民法1条2項,民法1条3項,商法(平成17年法律第87号による改正前のもの)269条,会社法361条



主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。



理由
上告代理人斎藤利幸の上告受理申立て理由について


1 本件は,被上告人の取締役であった上告人が取締役退任に際し支給を受けた退職慰労金について,被上告人が,株主総会の決議が存在しないことなどを理由に,上告人に対し,不当利得返還請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づき上記退職慰労金相当額の支払を求める事案である。

2 原審が確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) 被上告人は,昭和36年に亡Aによって設立された株式会社であり,同人が発行済株式総数の約99%を保有していたが,平成18年当時は,同人の子である被上告人代表者が発行済株式総数の99.24%を保有していた。

(2) 上告人は,昭和47年9月,被上告人の常勤取締役に就任し,平成17年12月末日,退任した。

(3) 被上告人の取締役会において,昭和48年11月30日,役員の退職慰労金の算定基準等に係る内規を定める旨の決議がされ,平成4年3月31日,これを改定する旨の決議がされた。上記改定後の内規(以下「本件内規」という。)には,退職慰労金の支給は常勤取締役及び常勤監査役に限り,普通退職(任意退職)の場合の退職慰労金の額は退職時の報酬月額に在任期間の年数を乗じた額とする旨の定めがある。

(4) 被上告人においては,退任取締役に対する退職慰労金は,通常は,事前の株主総会の決議を経ることなく,次の手続により支給されていた。

代表取締役は,経理部の担当者に対し,当該取締役に支給すべき退職慰労金の額の算定を指示する。

代表取締役は,経理部の担当者が本件内規に従って算定した退職慰労金の額を確認し,その支給について決裁する。

代表取締役は,上記退職慰労金を当該取締役に送金するよう改めて指示する。

代表取締役は,次期の定時株主総会において,支給済みの退職慰労金の額を退任取締役ごとに明らかにして,計算書類の承認を受ける。

(5) 被上告人代表者は,平成18年2月ころ,上告人に対し,退職慰労金を支給しない意向を告げた。そこで,上告人が,弁護士を通じ,同年3月2日付けの内容証明郵便をもって,本件内規に基づく退職慰労金の支給をするよう催告をしたところ,同月13日,被上告人から,本件内規に従って算定された額である4745万6433円が送金されたが(以下,この送金を「本件送金」といい,本件送金に係る金員を「本件金員」という。),本件送金は,株主総会の決議も,被上告人代表者の決裁も経ずにされたものであり,本件送金後に開催された定時株主総会において承認を受けた計算書類においても,上告人に対して支給された退職慰労金の額は明らかにされていない。


(6) 被上告人は,平成18年10月3日,民事再生手続開始の決定を受けた。

被上告人は,平成19年2月21日,上告人に対し,同月20日付けの内容証明郵便をもって,本件送金は適法な退職慰労金の支給とは認められないとして,本件金員の返還を求めたが,上告人はこれを拒否した。

(7) 上告人は,本訴において,本件請求は信義則に反し,権利の濫用に当たるなどと主張している(以下,この主張を「信義則違反等の主張」という。)。

3 原審は,上記事実関係の下において,上告人に対し退職慰労金を支給する旨の株主総会の決議等は存在せず,上告人が本件金員の支給を受けたことは,法律上の原因を欠き不当利得になるとした上で,上告人の信義則違反等の主張について,次のとおり判断して,被上告人の請求を認容すべきものとした。

被上告人代表者が,上告人に対し,本件内規に基づく退職慰労金の支給をする旨の意思表示をしたとの事実を認めるに足りる的確な証拠はないし,被上告人は,法の定める手続にのっとって設立された株式会社であり,民事再生手続開始の決定を受けているところ,被上告人の現役員及び元役員を除く再生債権者等との関係を考えれば,本件請求が信義則に反し,権利の濫用に当たるとはいい難い。

4 しかしながら,信義則違反等の主張に係る原審の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

上告人に対し退職慰労金を支給する旨の株主総会の決議等が存在しない以上は,上告人には退職慰労金請求権が発生しておらず,上告人が本件金員の支給を受けたことが不当利得になることは否定し難いところである。しかし,前記事実関係によれば,被上告人においては,従前から,退任取締役に対する退職慰労金は,通常は,事前の株主総会の決議を経ることなく,上記2(4)記載の支給手続によって支給されており,発行済株式総数の99%以上を保有する代表者が決裁することによって,株主総会の決議に代えてきたというのである。そして,上告人が,弁護士を通じ,平成18年3月2日付けの内容証明郵便をもって,本件内規に基づく退職慰労金の支給をするよう催告をしたところ,その約10日後に本件金員が送金され,被上告人においてその返還を明確に求めたのは,本件送金後1年近く経過した平成19年2月21日であったというのであるから,上告人が,本件送金の担当者と通謀していたというのであればともかく,本件送金について被上告人代表者の決裁を経たものと信じたとしても無理からぬものがある。


また,被上告人代表者が,上記催告を受けて本件送金がされたことを,その直後に認識していたとの事実が認められるのであれば,被上告人代表者において本件送金を事実上黙認してきたとの評価を免れない。


さらに,上告人は,上告人が従前退職慰労金を支給された退任取締役と同等以上の業績を上げてきたとの事実も主張しており,上記各事実を前提とすれば,上告人に対して退職慰労金を不支給とすべき合理的な理由があるなど特段の事情がない限り,被上告人が上告人に対して本件金員の返還を請求することは,信義則に反し,権利の濫用として許されないというべきである。


このことは,被上告人代表者が,上告人に対し,本件内規に基づく退職慰労金を支給する旨の意思表示をしたと認めるに足りず,被上告人が民事再生手続開始の決定を受けているとしても,異なるものではない。


そうすると,上記催告を受けて本件金員が送金されたことについての被上告人代表者の認識や上告人の業績等の事実について審理判断せず,上記特段の事情の有無についても審理判断しないまま,被上告人代表者が本件内規に基づく退職慰労金を支給する旨の意思表示をしたと認めるに足りず,被上告人が民事再生手続開始の決定を受けていることのみを説示して,本件請求が信義則に反せず,権利の濫用に当たらないとした原審の判断には,審理不尽の結果,法令の適用を誤った違法があるといわざるを得ず,この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,信義則違反等の主張の当否について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。


よって,裁判官竹内行夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

裁判官竹内行夫の反対意見は,次のとおりである。

私は,本件不当利得返還請求は信義則に反せず,権利の濫用に当たらないとした

原審の判断は,結論において是認することができ,本件上告を棄却すべきものと考える。その理由は,次のとおりである。

会社法361条1項は,取締役の報酬等の額等については,定款に定めのないときは,株主総会の決議によって定めるとしている。同項にいう「報酬等」には退職慰労金も含むものと解され,定款に退職慰労金に関する定めのない場合,退職慰労金請求権は,株主総会の決議によって初めて発生する(最高裁昭和53年(オ)第1299号同56年5月11日第二小法廷判決・裁判集民事133号1頁,最高裁平成11年(受)第948号同15年2月21日第二小法廷判決・金融法務事情1681号31頁参照)。


原審の確定した事実関係等によれば,被上告人においては,退任取締役に対する退職慰労金は,通常は,株主総会の決議に代えて,発行済株式総数の99%以上を保有する被上告人代表者が決裁することによって支給してきたところ,本件送金は,株主総会の決議はもとより,内規に従った被上告人代表者の決裁も経ずにされたというのである。そうすると,上告人には退職慰労金請求権は発生せず,本件送金は法律上の原因を欠くものであって,被上告人は上告人に対して不当利得返還請求権を有することは明らかである。そして,本件不当利得返還請求が信義則に反し,あるいは権利の濫用に当たるというべき事情は見当たらない。


2 これに対し,多数意見は,上告人が本件金員の支給を受けたことが不当利得になることを認めた上で,被上告人が上告人に対し不当利得返還請求権を行使することは,信義則に反し,権利の濫用として許されないとする余地を認める。


信義則や権利の濫用といった一般条項を適用するに当たっては,法的安定性や法の適用に関する予測可能性を確保するという見地から,既存の法規範の規律やその趣旨に対し十分配慮することが求められるべきものであって,その適用範囲については,事案の個別事情を精査,吟味し,慎重に画する必要がある。さもなければ,既存の法規範の存在意義が薄れてしまう結果をもたらしかねない。ところが,多数意見は,以下のような十分とはいえない事実を根拠として被上告人の不当利得返還請求権の行使を排斥する余地を認めることによって,結果的に,退職慰労金請求権を有しないはずの上告人に対し,株主総会の決議はもとより被上告人代表者の決裁も経ないまま,たやすく退職慰労金を取得させることを認めるものといわざるを得ない。そうだとすると,多数意見は,会社法361条1項の趣旨を没却するに等しく,前記各判例にも実質的に抵触するものであるから,これに賛同することはでき
ない。

(1) まず,多数意見は,上告人が本件送金について被上告人代表者の決裁を経たものと信じたとしても無理からぬものがあるという。しかしながら,仮にそのような事実が認められるとしても,それは上告人が不当利得の善意の受益者であることをいうにすぎない。善意の受益者であっても,法律上の原因を欠く利得を返還する義務を負うのが原則であることからすると,善意の受益者であるという事実が不当利得返還請求権の行使を排斥する余地を認める根拠になるとは考え難い。仮に上告人がそのように信じており,かつ,そのような認識を有するに至ったのが被上告人代表者の言動に起因するものであったという事実があれば格別,原審は,そのような事実を認定していないのである。そうすると,仮に上告人が被上告人代表者の決裁を経て本件送金がされたものと信じていたとしても,それは上告人の一方的な思い込みにすぎず,これをもって本件不当利得返還請求を排斥する根拠とすること
はできない。


多数意見は,被上告人が不当利得返還請求権の行使を1年近く怠っていたことを問題とするが,そのことにより,消滅時効が完成するわけではないことは当然であるし,また,不当利得返還請求権はもはや行使されないものと上告人において信ずべき正当な事由が生じたため権利の失効はやむを得ないといえるほど長期間にわたって,その行使を被上告人が怠っていたわけでもない。

そもそも,原審の確定した事実関係等によれば,被上告人代表者は,上告人から催告される前に,上告人に対し,退職慰労金を支給しない意向を告げていたところである。また,記録によれば,本件送金は,上告人と同じ支店に常駐し,上告人の退職慰労金について本社経理担当者との間の仲介をし,これを支給するようにと被上告人代表者に掛け合っていた経理部長が,それまで退任取締役に対する退職慰労金の支給手続には一度も関与したことがなかったにもかかわらず,本件に限って,被上告人代表者の決裁を求めることもしないまま,わざわざ同支店の取引先である金融機関に自ら赴いてその手続を執るという異例な形で行われたことがうかがわれる。上告人は被上告人において長年にわたり役員を務めていて,退任取締役に対する退職慰労金は,被上告人代表者の決裁を経たうえで,被上告人の東京本社の取引先である金融機関から送金されていたなどの通常の内部手続についての事情にも精
通していたはずであり,その上告人が,上記のような異例な形で行われた本件送金が被上告人代表者の決裁を経たものであると信じたとは考え難い。


(2) また,多数意見は,被上告人代表者が,本件送金がされたことをその直後に認識していたとの事実が認められるのであれば,本件送金を事実上黙認してきたとの評価を免れないという。しかしながら,仮に被上告人代表者において本件送金が行われたとの事実をその直後に知っていたとしても,そのような事実を認識することとそれを黙認することとは全く別である。前記のように,被上告人代表者は,上告人から催告される前に,上告人に対し,退職慰労金を支給しない意向を告げていたことに加え,記録によれば,被上告人代表者は,本件送金の1週間後に上告人と面談し本件金員の返還を求めた旨供述しているのであって,この事実が認められることとなれば,なおのこと上記のような評価をすることは困難となる。

(3) さらに,多数意見は,上告人が従前退職慰労金を支給された退任取締役と同等以上の業績を上げてきた事実を,信義則違反等の評価を根拠づける事情の一つとして挙げる。長年勤務し業績を上げてきた退任取締役に対しては退職慰労金を支給すべきであるという心情は理解できないではないが,会社の経営状況等によっては多大の業績を上げた退任取締役に対しても退職慰労金が支給されないことがある。


多数意見の立場は,業績を上げてきた退任取締役に対しては,株主総会の決議等がなくとも業績によっては退職慰労金を取得させる余地を認めるべきであるというに等しいものと解され,その趣旨において,会社法361条1項や前記各判例と抵触することは避けられない。


3 以上の次第であるから,本件不当利得返還請求は信義則に反せず,権利の濫用に当たらないとして,被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は理由がなく,本件上告を棄却すべきである。


(裁判長裁判官竹内行夫裁判官今井功裁判官中川了滋裁判官
古田佑紀)