最判平成21年12月8日 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資料や推論過程に疑問があるとして採用せず,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前後の言動や犯行の動機,従前の生活状態から推認される人格傾向等を総合考慮して,統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人が心神耗弱の状態にあったと認定した原判決の判断手法に誤りはないとした事例

最判平成21年12月8日 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資料や推論過程に疑問があるとして採用せず,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前後の言動や犯行の動機,従前の生活状態から推認される人格傾向等を総合考慮して,統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人が心神耗弱の状態にあったと認定した原判決の判断手法に誤りはないとした事例


事件番号
 平成20(あ)1718
事件名
 殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
裁判年月日
 平成21年12月8日
法廷名
最高裁判所第一小法廷
裁判種別
 決定
結果
 棄却
判例集等巻・号・頁
刑集 第63巻11号2829頁
原審裁判所名
大阪高等裁判所
原審事件番号
 平成18(う)698
原審裁判年月日
 平成20年7月23日
判示事項
 1 精神鑑定の意見の一部を採用した場合と責任能力の有無・程度の判断
2 責任能力の有無・程度について原判決の判断手法に誤りがないとされた事例
裁判要旨
 1 裁判所は,特定の精神鑑定の意見の一部を採用した場合においても,責任能力の有無・程度について,当該意見の他の部分に拘束されることなく,被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態,犯行の動機・態様等を総合して判定することができる。
2 精神医学者の精神鑑定における意見のうち被告人が心神喪失の状態にあったとする部分を前提資料や推論過程に疑問があるとして採用せず,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前後の言動や犯行の動機,従前の生活状態から推認される人格傾向等を総合考慮して,統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人が心神耗弱の状態にあったと認定した原判決の判断手法に誤りはない。
参照法条
 (1,2につき)刑法39条



判旨
主文

本件上告を棄却する。
当審における未決勾留日数中380日を本刑に算入する。

理由
 弁護人佐武直子の上告趣意は,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。

 なお,所論にかんがみ,職権により判断する。

1 原判決及び記録によれば,本件の事実関係及び審理経過等は,次のとおりである。

(1)ア 被告人は,両親方で生活していたところ,平成12年11月ころ,階下の住民とのトラブルから自宅に引きこもるようになった。平成14年夏ころから,窓から通行人めがけてエアガンの弾を発射するようになり,平成15年2月,統合失調症の疑いと診断され,措置入院となった。主治医は,被告人を「特定不能の広汎性発達障害」と診断し,同年3月に措置解除となって退院した。被告人は,同年5月,自宅から近所の女性をねらってエアガンの弾を撃ち,同女の右大腿部に命中させるなどして逮捕され,同年6月から8月まで措置入院となったが,これに先立つ精神保健指定医2名の診断は,「1 主たる精神障害反社会的行為,2 従たる精神障害広汎性発達障害の疑い」,「1 主たる精神障害人格障害,2 従たる精神障害『妄想』の疑い」というものであった。主治医は,1回目の入院時と同じで,被告人を「広汎性発達障害」と診断した。

イ 被告人は,2回目の退院後,同年9月から,祖母方で母親と3人で生活するようになり,しばらくは落ち着いていたが,平成16年3月ころから再び精神状態が悪化し,隣家に住む男性(以下「被害者」という。)の長男が被告人がドライブから帰ってきたら「チェッ」と言っていた,上記長男が盗聴し,家の中をのぞきに来ているなどと言い出し,被害者方の家族から嫌がらせを受けていると思い込んで悪感情を抱くようになり,無断で被害者方2階に上がり込んだり,被害者方の玄関ドアを金属バットでたたいたりしたことがあり,その際,被害者からしっ責され,通報を受けて臨場した警察官の聴取を受けるなどした。

ウ その後,祖母方から両親方に戻って生活するようになった被告人は,友人とドライブをした際,同人から,被害者方に上がり込んだ時に手を出したのかと尋ねられると,「手は出していない。そういうことをしたら捕まってしまう。」と答えた。
 同年6月1日午後10時過ぎころ,被告人が金属バットを振り上げて被害者方に向かって来たため,被害者の妻が警察に通報する一方,被害者が玄関ドアを開け,被告人に対しなだめるように話しかけると,被告人は,金属バットを下ろし,自動車に乗って走り去った。被告人は,同月2日午前1時45分ころから上記友人とドライブをしたが,その途中,被害者方近くにしばらく自動車をとめてたばこを吸うなどした。

 被告人は,同日午前3時45分ころ,上記友人と別れ,午前4時過ぎころ,金属バットとサバイバルナイフを持って被害者方に向かい,被害者とその妻が在室する1階寝室の無施錠のサッシ窓を開けて,淡々とした低い声で「お前が警察に言うたんか。」と言いながら,同室の中に入り,被害者の頭部を金属バットで殴り付けた後,2階に逃げた被害者を追いかけ,同所において,被害者の二男の右頸部を上記ナイフで切り付けるなどし,さらに,被害者の頭部,顔面を同ナイフで多数回にわたって切り付け,その胸部等を突き刺すなどして同人を殺害した(以下,上記殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反の犯行を「本件犯行」という。)。

 被告人は,被害者方に駆け付けた母親に連れられて祖母方に戻り,自首するように言われたが,母親が電話で警察に通報している間に,上記ナイフとは別のサバイバルナイフを持って逃走し,約1kmほど離れた路上で警察官らに見つかり,「散歩ですか。」と声を掛けられると,同ナイフを腰の辺りに構えて警察官らを威嚇し,「おれは人を刺してきたんや。おれはもうどうなってもいいんや。」「けん銃で撃ってくれ。殺してくれ。」などと言って,同ナイフを振り回すなどしたものの,警察官らに制圧され,同日午前4時56分,本件犯行等により現行犯逮捕された。

(2)捜査段階で精神鑑定を担当した医師Nは,その作成に係る精神鑑定書及び第1審公判廷における証言(以下「N鑑定」という。)において,被告人を人格障害の一種である統合失調型障害であり,広汎性発達障害でも統合失調症でもないとした上で,被告人は本件犯行当時に是非弁別能力と行動制御能力を有しており,その否定ないし著しい減弱を考えさせる所見はなかったが,心神耗弱とみることに異議は述べないとする。
 第1審判決は,N鑑定を基本的に信頼できるとしながらも,統合失調型障害とまでは断定できないとして,被告人は,統合失調症の周辺領域の精神障害にり患し,本件犯行時,是非弁別能力及び行動制御能力がある程度減退していたが,それらが著しくは減退していなかったことが明白であるとして完全責任能力を認め,被告人に対し懲役18年を言い渡した。

(3)原審で裁判所から被告人の精神鑑定を命じられた医師Sは,その作成に係る精神鑑定書及び原審公判廷における証言(以下「S鑑定」という。)において,被告人は,本件犯行時,妄想型統合失調症にり患しており,鑑定時には残遺型統合失調症の病型に進展しつつある旨診断した。そして,被告人には,平成16年3月ころから妄想型統合失調症の病的体験が再燃し,同年4月中旬ころから同年5月ころにかけて被害者方がその対象となって次第に増悪し,犯行時には一過性に急性増悪しており,本件犯行は統合失調症の病的体験に直接支配されて引き起こされたものであり,被告人は,本件犯行当時,是非弁別能力及び行動制御能力をいずれも喪失していたとする。
 原判決は,被告人は是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったとして,第1審判決を事実誤認を理由に破棄し,被告人に対し懲役12年を言い渡した。原判決の理由の要旨は次のようなものである。

 N鑑定は,統合失調症かどうかの判断の基礎となる十分な資料を収集できていないため,同鑑定から被告人が統合失調症にり患していなかったと断ずることはできないが,S鑑定は,十分な診察等を経た上で本件犯行当時に被告人が統合失調症にり患していたと診断したものであることなどからすると,被告人は本件犯行当時,統合失調症にり患していたと認められる。そして,S鑑定は,本件犯行の前から,被告人の注察妄想,被害妄想と幻聴が顕在化・行動化し,病的体験が被害者方に向けられるようになり,犯行時にはそれが一過性に急性増悪し,本件犯行は,統合失調症の病的体験に直接支配されて引き起こされているとする。しかしながら,S鑑定は,状況を正しく認識していることをうかがわせる本件犯行前後の被告人の言動についての検討が十分でない上,犯行の直前及び直後にはその症状はむしろ改善しているように見受けられるとしているのに,本件犯行時に一過性に幻覚妄想が増悪しそれが本件犯行を直接支配して引き起こさせたという機序について十分納得できる説明をしていない。また,被告人の幻覚妄想の内容は,被害者の長男からテレパシーでおちょくられるなどしていたというものであって,通常相手方を殺傷しようと思うような非常に切迫したものとまではいえず,前記の「お前が警察に言うたんか。」との発言等に照らすと,被告人が幻覚妄想の内容のままに本件犯行に及んだかどうかにも疑問の余地がある。そして,これらの諸点に加え,被告人の統合失調症の病状の程度,被告人の公判供述から認められる本件犯行の動機,従前の生活状況から推認される被告人の人格傾向等の諸事情を総合考慮すると,本件犯行は暴力容認的な被告人の本来の人格傾向から全くかい離したものではなく,被告人は,本件当日,被害者の長男の幻声(テレパシーで「おれはやくざだ。」,「やったるで。」,「金属バット持って上がってこい。」などと語りかけてくるものであったという。)が聴こえ,被害者方への侵入を敢行し,その病的体験と上記のような被告人の人格傾向に,以前に警察を呼ぶなどした被害者方に対する怒りが加わり,本件犯行に及んだものであって,本件犯行は,統合失調症による病的体験に犯行の動機や態様を直接に支配されるなどして犯されたものではなく,被告人は是非弁別能力ないし行動制御能力を完全に失っておらず,心神喪失の状態にはなかったものの,本件犯行が被告人の病的体験に強い影響を受けたことにより犯されたものであることは間違いなく,その能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったと認められる。

2 所論は,責任能力判断の前提である生物学的要素である精神障害の有無・程度のみならず,これが心理学的要素に与えた影響の有無・程度についても,専門家であるS鑑定の意見に従って,本件犯行当時,被告人は責任能力を欠いていたと判断すべきであると主張する。
 しかしながら,責任能力の有無・程度の判断は,法律判断であって,専ら裁判所にゆだねられるべき問題であり,その前提となる生物学的,心理学的要素についても,上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題である。したがって,専門家たる精神医学者の精神鑑定等が証拠となっている場合においても,鑑定の前提条件に問題があるなど,合理的な事情が認められれば,裁判所は,その意見を採用せずに,責任能力の有無・程度について,被告人の犯行当時の病状,犯行前の生活状態,犯行の動機・態様等を総合して判定することができる(最高裁昭和58年(あ)第753号同年9月13日第三小法廷決定・裁判集刑事232号95頁,最高裁昭和58年(あ)第1761号同59年7月3日第三小法廷決定・刑集38巻8号2783頁,最高裁平成18年(あ)第876号同20年4月25日第二小法廷判決・刑集62巻5号1559頁参照)。そうすると,裁判所は,特定の精神鑑定の意見の一部を採用した場合においても,責任能力の有無・程度について,当該意見の他の部分に事実上拘束されることなく,上記事情等を総合して判定することができるというべきである。原判決が,前記のとおり,S鑑定について,責任能力判断のための重要な前提資料である被告人の本件犯行前後における言動についての検討が十分でなく,本件犯行時に一過性に増悪した幻覚妄想が本件犯行を直接支配して引き起こさせたという機序について十分納得できる説明がされていないなど,鑑定の前提資料や結論を導く推論過程に疑問があるとして,被告人が本件犯行時に心神喪失の状態にあったとする意見は採用せず,責任能力の有無・程度については,上記意見部分以外の点ではS鑑定等をも参考にしつつ,犯行当時の病状,幻覚妄想の内容,被告人の本件犯行前後の言動や犯行動機,従前の生活状態から推認される被告人の人格傾向等を総合考慮して,病的体験が犯行を直接支配する関係にあったのか,あるいは影響を及ぼす程度の関係であったのかなど統合失調症による病的体験と犯行との関係,被告人の本来の人格傾向と犯行との関連性の程度等を検討し,被告人は本件犯行当時是非弁別能力ないし行動制御能力が著しく減退する心神耗弱の状態にあったと認定したのは,その判断手法に誤りはなく,また,事案に照らし,その結論も相当であって,是認することができる。

 よって,刑訴法414条,386条1項3号,刑法21条により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 涌井紀夫 裁判官 宮川光治 裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志