(3)仙台高裁  平成25年09月17日 裁判所が認定した事実関係の経過

5 裁判所が認定した本件の事実経過


本件の事実経過は,前記前提事実のほか,括弧書きで摘示した証拠(甲5,109〜116,124,125,乙8〜14,21〜23,原告亡G母を除く原告ら本人7名の各供述,被告代表者B3供述,被告B2園長供述,I証言,K証言,L1証言,L2証言,L3“〔旧姓L3〕証言,L4証言,L5証言,M1母証言,M2母証言,L6証言)及び弁論の全趣旨により認めることのできる事実によれば,以下のとおりである。


(1) 本件幼稚園Cの概要

石巻市の本件幼稚園Cは,標高約23mの高台にあり(甲122の3頁),昭和28年8月,本件地震発生当時の事務長であって現理事長であるB3(以下「事務長B3」という。)の父Nにより創立され,昭和29年10月にその経営法人として被告B1学院が設立された。そして,昭和29年頃には本件幼稚園Cと同一敷地内にOも併設されたが,Oは平成21年に廃校となっていた(乙14)。


イ 事務長B3は,平成14年から本件幼稚園Cの事務長を務め,叔父のP理事長に代わって平成21年から事実上被告B1学院の理事長職を代行していたが,本件地震発生後の平成23年6月からは正式に被告B1学院の理事長に就任した。


ウ 被告B2園長は,小学校の教師及び中学校の体育科教師をした後,教育委員会勤務を経て,教頭やQ1中学校校長を務め,平成10年から12年にかけて石巻市立Q2中学校校長を務め,その後に再びQ3教育委員会勤務(課長)を経て,平成15年から同17年にかけて北上川沿いの石巻市立Q4中学校校長を務め,同校長を最後に定年退職し,その後3年間にわたってQ5教育事務所の社会教育指導員を務めた後,高等学校勤務経験のある前任園長を引き継ぐ形で,平成20年4月頃から本件幼稚園Cの園長を務めていた。

しかし,本件地震発生後は,被告B2園長が平成23年3月31日をもって園長職を辞め,事務長B3が園長職を兼務している。

エ 本件地震発生当時の本件幼稚園Cには,事務長B3(理事長代行),被告B2園長のほか,L1主任教諭,L3教諭,L7教諭,L2教諭,L4教諭,L5教諭,L6教諭,L8事務員,L9事務員,K運転手,I運転手及びJ添乗員ら職員12名が勤務しており(乙4末尾),園児約103名が在園していた(甲5)。


本件大きいバスのK運転手は,昭和35年からバス運転手としてバスの旅客運送会社に勤務した経験があり,定年退職後の平成14年から本件幼稚園Cの送迎バスの運転手として送迎業務等に従事していた(乙13)。

本件小さいバス(定員12名)のI運転手は,クリーニング(取次)業を自営する傍ら,平成20年4月から本件幼稚園Cの送迎バスの運転手として朝夕2回の送迎業務を行い,妻であるJ添乗員(元O勤務)も同時期から同バスの添乗員として本件幼稚園Cに勤務していた(乙12)。

(2) 本件被災園児ら4名の本件幼稚園Cへの在園


原告亡D両親は年長組の亡Dについて,原告亡E両親は年長組の亡Eについて,原告亡F両親は年長組の亡Fについて,原告亡G両親は年中組の亡Gについて,それぞれ被告B1学院との間で在園契約(保育料・教材費・後援会費・絵本代の合計月額は1万8600円である。)を締結し,本件地震当時本件被災園児ら4名が送迎バス(月額利用料3000円)を利用して本件幼稚園Cに通園していた(甲128)。


(3) 本件小さいバスの送迎ルート,時刻表等


平成22年1月頃に本件幼稚園Cの保護者らに配布されていた「平成22年度 バス時刻表(2号車)」(甲6)によれば,本件小さいバスによる送迎ルートは,①石巻市大街道東,同市三ツ股及び同市泉町付近を通る1便目のルート,②同市南浜町及び同市門脇町付近の海側を通る2便目のルート(帰りは午後2時51分に本件幼稚園C発,午後3時6分に同園着),③同市貞山,同市新橋及び同市蛇田付近(甲120参照)の陸側を通る3便目のルート(帰りは午後3時7分に本件幼稚園C発,午後3時41分に同園着)の3つに分けられ,決められた送迎ルートを定められた時刻に従って送迎し,それに合わせて保護者らがバスの停車場まで園児を送迎することとされていた(甲135,136)。


そして,本件被災園児ら5名は,内陸側を走行する本件小さいバスの3便目により通園していた。


しかし,平成22年8月末頃以降,2便目と3便目の各園児らが欠席等により合計12名以下となって一緒に本件小さいバスに乗せることができるような場合には,当日の出欠人数を確認できる教諭の判断により2便目の園児と3便目の園児を一緒に乗せて送ることもあった(甲138)。


そのような正規の送迎方法に反した送り方について本件幼稚園Cから保護者らに対する説
明はなく,保護者らの同意も得ていなかった。

なお,上記本件小さいバスの2便の送迎ルートは,別紙「2便送迎ルート図」(甲135)記載のとおりであり,その送迎対象地区である石巻市南浜町及び同市門脇町地区の標高は,0〜3m未満の低地であって,堤防から約200mないし約600m前後の地域であった(甲11。別紙「津波浸水図」参照)。そして,石巻市鮎川の平均潮位(東京湾の平均海面を0mとした場合の高さ)が7.5㎝であり(甲130),石巻港雲雀野の堤防(護岸延長
1517m)の高さが4.53mであったものの(甲129),海岸沿いの道路からみた堤防の高さは,約1m数十㎝であり(甲122の写真11,12),台風や高潮の際には日頃からその堤防沿いの道路に,堤防を越えた波が被っていた(原告亡D父供述3頁)。


(4) 地震に対する日常の備え

宮城県防災会議地震対策等専門部会の平成16年3月付けの報告書

宮城県防災会議地震対策等専門部会の平成16年3月付けの報告書(甲87)によれば,宮城県地震被害の想定対象とした地震は,海洋型地震としては,①宮城県沖地震の単独発生型(マグニチュード7.6)と,地震調査研究推進本部が平成15年に想定対象としていた②宮城県沖地震の連動型(マグニチュード7.8)であり,内陸型地震としては長町−利府線断層帯地震マグニチュード7.14)であった。


石巻市作成の別紙「津波ハザードマップ

石巻市が作成した別紙「津波ハザードマップ」(乙3)においては,南浜町及び門脇町の主な市街地は津波により浸水することが想定されておらず,同地区の指定避難場所としては門脇小学校が指定されていた。そのため,石巻市は,海に近い北上川河口付近に,昭和61年には石巻文化センターを,平成10年には石巻市立病院を,それぞれ設立していた(乙18〜20)。


もっとも,上記別紙「津波ハザードマップ」を紹介する石巻市のホームページにおいては,宮城県が実施した「第三次地震被害想定調査」の結果等に基づいて,宮城県沖地震(連動型)に伴い津波が発生した場合の市内の予想浸水区域並びに各地域の避難場所を示したものであって,浸水の着色のない地域においても,状況によっては浸水するおそれがありますので,注意してほしいこと,津波に対してはできるだけ早く安全な高台に避難することが大切であること,強い揺れを感じたら,すぐにテレビやラジオなどで津波情報や警報を確認し,市からの避難勧告や避難指示が出された時には,直ちに避難してほしいことが注記されていた(甲88)。


宮城県教育委員会の「みやぎ防災教育基本指針」及び宮城県教育委員会

震災マニュアル

宮城県教育委員会は,平成21年2月,各学校(幼稚園を含む。)において地域や家庭も巻き込んだ形で防災教育を展開することにより,児童生徒が災害に積極的に立ち向かう能力を備え,自らの被害を最小限のものにすることができるようにするため,「みやぎ防災教育基本指針」を作成していた(甲139)。

また,宮城県教育委員会震災マニュアルにおいては,「指定職員はラジオ等により情報収集に努める。津波警報等の発令時(見込みを含む。)は,更に高台等に二次避難する。」と定められていた(甲7)。

エ 本件幼稚園C地震マニュアル


学校保健安全法29条1項は,「学校においては,児童生徒等の安全の確保を図るため,当該学校の実情に応じて,危険等発生時において当該学校の職員がとるべき措置の具体的内容及び手順を定めた対処要領(次項において「危険等発生時対処要領」という。)を作成するものとする。」と定め,同条2項は,「校長は,危険等発生時対処要領の職員に対する周知,訓練の実施その他の危険等発生時において職員が適切に対処するために必要な措置を講ずるものとする。」と規定している。

そして,被告B1学院は,平成18年9月13日に宮城県総務部私学文書課から会計監査を受けた際,学校安全計画を策定していないことを指摘され,文部科学省が発行した「生きる力をはぐくむ学校での安全教育」と題する冊子の送付を受けたことなどから(甲127の1及び2),本件幼稚園C地震マニュアル(甲8)を策定した。同マニュアルにおいては,「地震の震度が高く,災害が発生する恐れがある時は,全員を北側園庭に誘導し,動揺しないように声掛けして,落ち着かせて園児を見守る。園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする。」と定められていた。


オ 防災避難訓練


被告B1学院は,毎年6月に地震を想定した地震避難訓練をし,11月には火災を想定した火災避難訓練をしていたが,地震発生時には園内に地震放送を流して園児が机の下に隠れ,その後に南側園庭に避難する訓練をしていたのみであった。地震避難訓練の際に被告B2園長らが本件幼稚園C地震マニュアルを教諭らに配布したり,見せることはなく,送迎に係る訓練や打合せをすることもなかった。


そのため,L1主任教諭を除く教諭ら及び運転手らは,本件幼稚園C地震マニュアルの存在を知らず,大地震が発生した際には本件幼稚園Cにおいて園児らを保護者らに引き渡すという取扱いが定められていたことを全く知らなかった。


なお,被告B1学院が宮城県総務部私学文書課から平成22年9月1日付けで送付されていた「生きる力をはぐくむ学校での安全教育」という文部科学省発行の冊子(甲127の3)においては,事件・事故災害発生時の危機管理に関して,「事前に,学校は適切かつ確実な危機管理体制を確立し,危険等発生時対処要領(危機管理マニュアル)の周知,訓練の実施など,教職員が様々な危機に適切に対処できるようにする必要がある。」,「地震発生後としては,災害等に関する情報の収集,応急手当,関係者や医療機関を含む関連機関への連絡・対応,必要に応じた第二次避難場所への避難,校内及び近隣の罹災状況の把握,避難所となった場合の運営や被災者への対応等が挙げられる(付録参照)。」と記載され,その付録には「地震及び自然災害時の安全」の「目標」として「地震時及び津波発生時の避難の仕方を知る」ことが明示され,「教職員の援助・保護者との連携」として,「正しい情報の入手(落下物・家屋等の倒壊・陥没・地割れ,山崩れ・液状化現象等)と状況に応じた安全な避難経路と場所を確認し,幼児に明確に指示する。」ことが記載されていた(甲127の2)。


しかし,この冊子も,本件幼稚園Cの前記避難訓練等に役立てられることはなかった(L1証言)。

(5) 本件地震の2日前の平成23年3月9日に発生した地震(甲14の1〜3)本件地震の2日前である平成23年3月9日午前11時45分頃,三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した(以下「本件3月9日地震」という。)。その際の宮城県栗原市及び登米市等の震度が5弱(最大震度)であり,石巻市門脇及び同市泉町等の震度が4であった。気象庁は,9日午前11時48分,東北地方太平洋沿岸,岩手県宮城県及び福島県について,津波警報(高いところで0.5m程度の津波が予想されますので,注意してくださいとの説明)を発表し,大船渡で最大波0.6m,石巻市鮎川で最大波0.5mの津波が記録された。

本件3月9日地震が発生した際,原告亡F母は,次女の未就園児クラスが本件幼稚園Cにおいて開催されていたことから,本件幼稚園C内にいたが,地震発生後に他の保護者らと共に携帯電話のワンセグ放送等により地震に関する情報を収集し,本件幼稚園Cにしばらく滞在したいと思っていたところ,L1主任教諭から,「お母様方,何が起こるか分からないので帰って下さい。」などと言われ,やむなく次女と共に高台にある本件幼稚園Cを辞した。

その本件3月9日地震発生後においても,被告B2園長ら職員は,本件幼稚園C地震マニュアルを再確認することがなく,大地震発生後の園児の送迎や,津波に対する備えを確認することがなかった。

(6) 本件地震の発生


11日午後2時46分頃,宮城県沖を震源地とするマグニチュード9.0の本件地震が発生した(甲15)。本件地震の最大震度は7(宮城県栗原市築館),石巻市門脇地区の震度は,6弱であった(甲16)。

(7) 本件地震発生当時の本件幼稚園Cの状況について

ア 本件地震の発生当日は,約100名の園児が本件幼稚園Cに登園していた(甲5)。本件地震の発生時刻である午後2時46分までには,45名の園児が既に帰宅しており,本件幼稚園C内に残っていた園児は55名であった。


55名の園児のうち,12名が本件小さいバスに乗車する園児(本件被災園児ら5名が含まれる。)であり,20名が本件大きいバスに乗車する園児であり,残りの23名が預かり保育の園児であった。

被告B1学院は,本件地震当日以前にも,2学期以降は,状況に応じて,ときどき本件小さいバスの2便目の園児と3便目の園児を同乗させて送ることがあった。そして,本件地震発生当日も,J添乗員から「12名乗れますから乗せてください。」などと言われ,本件地震発生前である午後2時40分には,L3教諭が2便目の園児ら7名と3便目の本件被災園児ら5名の計12名を本件小さいバスに乗車させていた(甲5の1頁)。


イ 午後2時46分,本件地震が発生すると,被告B2園長ら職員は,園児らを机の下に入らせるなど園児の安全確保にあたった。

この時,本件大きいバスのK運転手は,海側に自宅のある園児を送って本件幼稚園Cに戻ってくる最中であり,同バスにはL5教諭が同乗していた。K運転手は,旅客運送会社のバス運転手として勤務し避難訓練をしていた経験などから,直ちに本件大きいバスを停車させてラジオをつけ,揺れが収まった後に本件大きいバスを運転して本件幼稚園Cへ戻り,西門側に停車させた(乙23,L5証言)。


他方,本件小さいバスのI運転手は,本件幼稚園C内に駐車したバスの中におり,L3教諭が2便目の園児7名と,3便目の本件被災園児ら5名を乗車させたところであった(乙21)。

地震の揺れが収まると,教諭らは,園児らを本件幼稚園Cの南側の園庭に避難させた。


被告B2園長は,本件幼稚園Cのテレビで地震の情報を確認しようとしたが,停電のため,テレビを見ることができなかった。

しかし,被告B2園長は,携帯電話のワンセグ放送によりテレビを視聴することや,ラジオを聞こうとすることもなかった。

この日は,みぞれ混じりの天候で,気温が低く,外に避難した園児らは寒さに凍えていたため,教諭らは,ジャンパーや帽子などを持ってきて着せたり,防災頭巾を持ってきて頭にかぶせたり,毛布等を持ち出したり,傘を差すなどして園児らを保護した。


被告B2園長は,園児らの無事が確認されたことから,本件幼稚園Cと同一敷地内の自宅にいる事務長B3の母(約2年前まで事務長を務めていた前理事長)に対し,園児らが全員無事であることを報告した。

(8) 気象庁津波警報等の発表状況

気象庁は,宮城県沿岸について,11日午後2時49分に,予想される津波の高さ6m以上の大津波警報を発表し,午後3時14分以降には,予想される津波の高さ10m以上の大津波警報を発表し続け,12日午後8時20分に,津波警報に切り替え,13日午後5時58分にようやく津波警報を解除した(甲133)。


(9) 防災行政無線の放送状況

ア 防災行政無線の設置状況

石巻市内における防災行政無線(甲9)のうち,本件幼稚園Cから最も近くに設置されている防災行政無線は,石巻市防災行政無線屋外子局73番(地番:石巻市日和が丘四丁目33の5。以下「本件防災無線」という。)である。児童遊園に設置されている本件防災無線は,本件幼稚園Cからは,民家を数軒隔てた北側約80mの至近距離にあり,本件幼稚園C東門付近からは高さ14.7mの位置にある本件防災無線(甲140)のスピーカーを肉眼で明確に見ることができる(甲70)。その本件防災無線は,4方向に向かってスピーカーが設置されており(甲70号証写真⑥),そのうちの一つは本件幼稚園Cの園舎北側から園舎へ向けて設置されており,同スピーカーと本件幼稚園Cの園舎の間には障害物が存在しない(甲70の写真①,③〜⑧)。


イ 本件地震発生後における本件防災無線の放送内容


午後2時48分頃から,本件防災無線により,大音量でサイレンが流され,注意喚起がされた後,「大地震発生,大地震発生。津波の恐れがありますので,沿岸や河口付近から離れて下さい。」等の放送がされ,テレビ放送により大津波警報が出されたことを石巻市職員が把握した後の午後2時52ないし54分にされた放送以降においては,大津波警報発令の伝達に切り替えられ(甲68),「大津波警報大津波警報宮城県沖に大津波警報が発表されました。沿岸・河口付近から離れて下さい。至急高台へ避難してください。」,「車での避難は控えて下さい。渋滞になります(なっています)。」,「津波は繰り返しきます。第二波,第三波の恐れがあります。沿岸や河口付近には絶対に近づかないで下さい。」等のアナウンスが約2分置きに繰り返され,午後3時20分以降午後5時過ぎまでは上記放送が約3分置きに繰り返され,放送が午後7時38分まで続いた(甲9)。


ウ 本件幼稚園C関係者の本件防災無線の放送内容の聴取状況


被告B2園長は,少なくとも午後3時2分過ぎ頃に本件小さいバスや本件大きいバスが出発した後には本件防災無線の放送を聞き,これを認識していた(乙8)。


また,事務長B3も,出先のR門脇支店から本件幼稚園Cに戻る途中の坂道で,防災行政無線の放送内容を聞いていた(乙14,B3証言3頁)。

これに対し,本件幼稚園Cにいて証人となった教諭らはいずれも防災行政無線の放送内容を聞いていなかった旨証言する。

しかし,地震後に屋外の南園庭に避難していたのに,近い距離にあった本件防災無線のサイレンや放送に気付かなかったというのは不自然である。また,本件小さいバスが午後3時2分過ぎ頃に本件幼稚園Cを出発した直後の状況を近所の人が偶然にデジタルビデオカメラで撮影しており,その映像の中には静寂の中を本件防災無線のサイレンが鳴り響き,高台避難を呼び掛けている状況等が録音されていること(甲71,72)にも照らせば,証人となった上記教諭らの証言はたやすく信用することができない。


(10)ラジオの放送状況

日本放送協会によるラジオ放送(甲117)

NHK仙台放送局は,11日午後2時49分頃,宮城県北部で震度7宮城県中部で震度6強の地震が発生したことをラジオ放送で伝えた。

その後,NHK仙台放送局は,午後2時51分頃から午後3時8分頃までの間に,宮城県岩手県福島県沿岸に大津波警報が発表されたことを9回,宮城県への津波到達予想時刻が午後3時であり,予想される津波の高さが6mであることを12回にわたってラジオ放送で伝え,その際同時に,海岸や川の河口付近には絶対に近づかないこと,早く安全な高いところに避難することを合計14回にわたって呼び掛けた。


石巻コミュニティー放送によるラジオ放送(甲118)


石巻コミュニティー放送は,11日午後2時46分頃の本件地震により停波したが,午後2時48分頃に放送を再開し,午後2時50分からは大津波警報発令を伝え,午後3時1分には6mの津波(到達予想時刻午後3時)が宮城県沿岸部に到達するとの発表を伝え,午後3時10分まで,地震の規模がM7.9で,宮城県北部の震度が7であり,大津波警報発令中であることなどを繰り返し伝えた。


東北放送株式会社によるラジオ放送(甲119)


東北放送株式会社は,11日午後2時46分頃から緊急地震速報の放送をし,午後2時48分に本件地震発生の放送を開始し,午後2時49分に震度情報(6強)を最初に伝え,午後2時50分には震度7の追加情報を加え,午後2時50分から大津波警報発令(津波到達予想時間午後3時)を伝え,午後2時51分には,予想される津波の高さを平常の海面より3m以上とし,特に三陸沿岸では非常に高くなる所がある旨を伝えたが,午後2時52分には,予想される津波の高さを6mと伝えて避難を呼び掛け,午後2時55分には「時間がありません。直ちに高台に避難してください。」などと呼び掛け,ほぼ毎分避難の呼び掛けを続けた。

(11)本件小さいバスの発車とその後の被告B2園長ら職員の状況


ア 本件小さいバスが出発するまでに,保護者1名が園児2名を迎えに来て引き渡された。

イ 被告B2園長は,午後3時過ぎ頃,教諭らに対し,園児らを「バスで帰せ。」と指示し,教諭らは,上記指示に基づき,海側に向けて先に送迎される予定の他の園児7名(本件小さいバスの2便目の通称「オレンジバス」の園児)と共に,3便目の本件被災園児ら5名も一緒に本件小さいバスに乗せ,午後3時2分過ぎ頃(甲72),高台にある本件幼稚園Cから海側に向けて本件小さいバスを出発させた(甲71,72)。

他方,西門側から東門側に移動した本件大きいバスには同バス2便目の20名の園児が乗車した。

出先のR門脇支店から本件幼稚園Cに戻った事務長B3は,被告B2園長に対して「園児は大丈夫ですか。」と尋ねたところ,被告B2園長から「大丈夫です。お母さんの所に行ってください。」などと言われたので,真っ直ぐ本件幼稚園Cと同一敷地内にある自宅に戻った。そのため,事務長B3が園内の園児らの様子を確認したり,本件地震発生直後の教諭らによる保育業務等を支援したりすることはなかった(甲5)。

本件小さいバスが出発してから数分後,K運転手は,園児18名及びL5教諭を乗せて,本件大きいバスを東門から出発させたが,「S」のある丁字路付近で停車中に園児1名を保護者に引き渡した後,同バス内のラジオで,大津波警報に関する放送を聞いたことや,道路の渋滞が始まっていたことなどから,念のため高台に避難しておいた方がよいと判断し,「S」のある丁字路を左折して坂を下らずに,逆に内陸側に右折して坂を上り,本件幼稚園Cへ引き返した(乙13,23。)。

ウ 少なくとも本件大きいバスの出発後に,被告B2園長は,本件防災無線の放送により大津波警報が発令されていることを知ったが(乙8),高台から海側に下りていった本件小さいバスや本件大きいバスの運転手に対して大津波警報を伝えて高台に戻るようにとの連絡をしようともしなかった。

エ 午後3時10分過ぎ頃,本件大きいバスが本件幼稚園Cに戻ってきた。(12)本件小さいバスの発車から門脇小学校停車までの状況(甲135)

I運転手は,本件小さいバスを出発させた後,石巻市門脇町及び同市南浜町付近を走行していたところ,その途中で園児M3の母親が自動車で本件小さいバスを追いかけてクラクションを鳴らしたため,本件小さいバスを停車させ,J添乗員において同園児を保護者に引き渡した(甲12,乙29)。

その後,I運転手は,再び本件小さいバスを運転し,園児M1の自宅前に到着したが,同園児の自宅から保護者が迎えに出て来なかったため,I運転手はしばらくの間本件小さいバスを停車させていた。そうしたところ,本件小さいバスに乗車していた別の園児M4の母親が車で同園児を迎えに来たため,J添乗員において同園児を引き渡したが,その際,同園児の母親から,もう避難して誰もいないので門脇小学校へ向かった方がいいと言われた(甲12,乙29)。


しかし,I運転手は,まだ自宅で本件小さいバスの送迎を待っている保護者がいるかもしれないと考え,通常の送迎ルートを走行することとし,本件小さいバスに乗車していた園児M5及びM6の自宅に順次到着したが,いずれの自宅も不在であったため園児を引き渡すことができず,別の園児M7の自宅前で降車して歩いて玄関に行ったところ,その自宅も不在であったが,その玄関には門脇小学校に避難している旨の置手紙があったことから,本件小さいバスを門脇小学校に向かわせることとし,門脇小学校の校庭の校舎入り口正面付近に本件小さいバスを停車させた(甲12,乙26,29)。その結果,I運転手は,全ての保護者が高台に避難するため自宅を留守にし,2便目の正規の停留所付近では園児らを待っておらず,行き違いになるなどしたことから,別の場所で園児ら7名を引き渡すことになった。

なお,石巻市から指定避難場所とされていた上記門脇小学校(海抜約10m)においては,同校が海に近いことから二次避難所を海抜40mの石巻市立女子高と定めて日頃から避難訓練をしていたが,防災行政無線による大津波警報発令を聞いた後に教頭の指示により海抜約50mの日和山公園に二次避難場所を急遽変更することとし,直ちに全児童を付近住民らと共に本件階段を歩いて日和山公園へ避難させ,体育館に残った教頭ら一部職員4名と消防団員らは,後に門脇小学校へ避難してきた地域住民らを日和山へ避難するよう誘導した。

そして,後記のとおり津波石巻市街地に押し寄せてくるのが見えた後には教頭らが残っていた住民らと共に体育館から門脇小学校校舎に駆け上がって避難し,校舎2階廊下の山側窓から日和山の崖へと教壇を橋状に架けて避難路を造り,そこから高齢者等も含めた付近住民らを日和山に避難させた(甲91,92)。

(13)本件小さいバスが門脇小学校に停車した後の状況

ア 午後3時10分頃,本件小さいバスに乗車していた園児であるM2及びM1の母親ら(以下,それぞれ「M2母」及び「M1母」という。)が本件小さいバスの送迎ルートを海側の自宅から本件幼稚園Cに向かって逆行して来たが,途中で本件小さいバスと遭遇しなかったことから,L2教諭に対し,本件小さいバスはどこにいるのかを尋ねた。

そこで,L2教諭は,本件小さいバスの所在を確認するためI運転手の携帯電話に職員室の固定電話から電話をしたところ,すぐにつながってI運転手と話をすることができ,本件小さいバスが門脇小学校に停車中であることを知った(乙22,L2証言)。

イ 上記電話の後,L2教諭は,そばにいた被告B2園長に対し,本件小さいバスが門脇小学校に停車している旨を伝え,L3教諭にもその旨を伝えた。

L3教諭は,本件小さいバスに乗車していた園児M5の母が本件幼稚園Cに迎えに来たので,本件小さいバスが門脇小学校に停車中であることを伝えた(乙21)。

また,L2教諭も,本件小さいバスに乗車していた園児M6の父親が本件幼稚園Cに迎えに来たことから,同人に対し,本件小さいバスが門脇小学校に停車している旨を伝えた(乙22)。

ウ 本件小さいバスが門脇小学校に停車している旨をL2教諭から報告された被告B2園長は,L6教諭及びL4教諭に対して,「バスを上げろ。」などと言って,徒歩で門脇小学校へ行って本件小さいバスを本件幼稚園Cに戻すことを伝えるように指示した。この際,被告B2園長は,L6教諭及びL4教諭に対し,大津波警報が発令されていることを伝えなかった。

そこで,L6教諭とL4教諭は,徒歩で本件幼稚園Cを出て門脇小学校の脇にある本件階段を下り,門脇小学校へ向かった(甲10,甲123の
写真7〜9,乙28)。

エ I運転手が本件小さいバスを門脇小学校の校庭に停車させ,J添乗員及び園児らが待機していたところ,本件小さいバスに乗車していた園児10名のうち3名(M6,M5,M7)の保護者らが同園児らを迎えに来たため,J添乗員において同園児ら3名を保護者らに引き渡し(乙29),他の園児らも一時バスの外に降りて待機していたが,雪が降ってきたため再度車内に乗車した(乙12)。


オ L6教諭及びL4教諭が門脇小学校に着くと,校舎前に本件小さいバスが停車していたので,I運転手に対し,「バスを上に上げろ。」との被告B2園長の指示を伝えた上,門脇小学校の校庭には多数の自動車が避難して混んでいるため,同所から本件小さいバスを発車させて本件幼稚園Cに戻ることができるかどうかを尋ねた。

これに対し,I運転手が本件小さいバスで本件幼稚園Cに戻ることができる旨を回答したため,L6教諭及びL4教諭は,同園児らを本件小さいバスに乗せたまま戻させることとし,教諭2人のみで本件階段を上がって本件幼稚園Cに戻った。

そして,I運転手は,本件被災園児ら5名を含む園児7名及びJ添乗員を乗せたまま本件
小さいバスを門脇小学校から出発させた(乙10,12,L4証言,L6証言)。


カ 本件幼稚園Cに戻ったL4教諭は,本件幼稚園C前の道路でL2教諭と会い,門脇小学校から園児らを連れて帰ればよかったかなと話したが,L2教諭はバスで戻ってくるので大丈夫と思っていた(乙22)。そして,L4教諭は,被告B2園長に対し,園児らが本件小さいバスに乗って戻って来る旨の報告をしたが,被告B2園長からは,何らの疑問も述べられなかった。


他方,L6教諭は,本件幼稚園Cの南側園庭の車内に原告亡D母がいるのを見付けたため,同人に対し,本件小さいバスが戻ってくる旨を伝えた。

(14)本件小さいバスが門脇小学校を出発してから被災するまでの状況

本件幼稚園CにおいてL2教諭に娘らの所在を尋ねていたM2母とM1母(姉妹)は,その後に被告B2園長から,本件小さいバスが海側に向けて発車していたことを聞かされたため,津波に被災することを心配し,急いで徒歩で坂を下り,防災行政無線が大津波警報と高台への避難を呼び掛けたり,広報車が高台避難を呼び掛けたりしている中を,門脇郵便局付近まで下り,本件小さいバスを捜した。しかし,本件小さいバスが見当たらず,付近は異様な静けさであって,これ以上平地にとどまるのは危険であると判断したことから,M2母とM1母は,一旦本件幼稚園Cに戻り,本件小さいバスが帰っていないかどうかを確認することとした。そして,本件幼稚園Cに戻ると,被告B2園長から,本件小さいバスが門脇小学校にいるので大丈夫であると聞いたことから,M2母とM1母において,園児らが同小学校脇の本件階段を上って避難してくるものと理解し,その旨を被告B2園長に確認すると,階段は墓石が倒れて危険であるから本件小さいバスで出発させた旨を被告B2園長から聞かされたため,門脇地区は道路が渋滞している旨を告げ,慌てながら不安を述べた。



これに対し,被告B2園長からは「お母さん大丈夫ですから,ここで待っていてください」などと言われたことから,M2母とM1母は,全然大丈夫ではないと考え,子供を抱えている妹のM1母を残し,姉のM2母のみが1人で急いで娘らを引取りに行くこととし,門脇町五丁目付近の坂道を走って下ったところ,その坂道の入り口付近(本件被災現場)において本件小さいバスが渋滞に巻き込まれ,停車しているのを目にした(乙27の写真①)。



そこでM2母は,急いで本件小さいバスまで走っていき,同女に気付いてM2及びM1を本件小さいバスから降車させていたJ添乗員から,上記娘らを引き取り,両名を連れて本件幼稚園Cに向かって避難していたところ,午後3時45分頃に石巻市南浜地区に津波が到達し,「津波だ。」という声が坂の上から聞こえたため,無我夢中で娘ら2名の手を引いて坂を駆け上り,何とか津波に襲われずに助かった(甲122の写真28,乙27の写真①,②)。そして,M2母及びM1母は,本件幼稚園Cの教諭に対し,M2及びM1を引き取ったことを告げた上で,門脇小学校の生徒が日和山公園に避難していると知人から聞いていたことから,同小学校に通うM2母及びM1母の長女を捜すために急いで日和山公園へ向かった(甲124,125)。



他方,本件小さいバスは,前記のとおり,同市門脇町五丁目付近の坂を少し上った地点(本件被災現場)において,渋滞に巻き込まれて停車し,バス内の園児らが不安で泣き出すなどし,亡Fにおいて他の園児らを励ますなどしていたが,前記のとおりM2及びM1がM2母に引き渡された直後に,津波に流されてきた家屋に後ろから押され,バスの内部に一気に水が流れ込み,本件被災園児ら5名が本件小さいバス内に取り残された。I運転手は,津波により破れた窓から車外に押し出され,もがきながら一時気を失ったが,気が付いたときには津波で流された民家の屋根の上に乗っていた。そして,九死に一生を得たI運転手は,全身ずぶ濡れのまま本件幼稚園Cに戻った(乙12,I証言)。


なお,石巻市鮎川においては,午後3時26分頃に約8.6m以上の最大津波を観測していた(甲134)。

(15)被告B2園長が再度教諭を門脇小学校に派遣した状況

被告B2園長は,遅くとも本件大きいバスが出発した後に本件防災無線において大津波警報が発令されている旨を耳にしていたが,バスを戻すようにとの指示にもかかわらず,本件小さいバスが直ちには戻ってこなかったため,心配になり,L3教諭,L2教諭及びL6教諭に対して,本件小さいバスの進行状況を確認させるため,再び門脇小学校へ向かうよう指示していた。L3教諭,L2教諭及びL6教諭は,門脇小学校へ向かう途中,本件幼稚園Cの東門から見ると,南浜町方面が冠水しているような様子が見え,それが津波の被害かどうかを疑問に思いながらも,門脇小学校脇の本件階段の上方まで行って市街地を間近に見下ろすと,市街地が津波に襲われ海のようになって浸水し,所々で火の手が上がっている様子が見えた。

L3教諭らは,近くにいたおばあさんから,子供らが日和山公園に避難していると教えられたため同公園に向かったが,園児らを見付けることができなかった(乙22)。

その後,L3教諭らがすぐには戻って来なかったため,被告B2園長は,自分自身が行かなくてはならないと考え,L4教諭と共に門脇小学校へ向かったが,本件階段の上からは既に門脇小学校が津波に襲われている様子が確認されたため,本件幼稚園Cに戻った。


(16)本件地震発生以降の原告らの動きと,被告B2園長ら職員の対応等

ア 本件地震後,本件幼稚園Cへ亡Dを迎えに行った原告亡D母は,既に本件小さいバスが出ていったものの,門脇小学校から戻ってくると聞いたのでその帰りを待っていたところ,ずぶ濡れになって本件幼稚園Cに戻ってきたI運転手に出会ったことから,事情を聴くと,本件小さいバスが津波に襲われたと聞いた。

そこで,原告亡D母は,K運転手及びL1主任教諭と共に,I運転手の案内により,被災したという場所へ向かった。

しかし,I運転手が被災場所として指示した場所は,門脇町五丁目付近の坂の上り口付近の真の本件被災現場ではなく,同被災場所も見通せないほど日和山公園側(東側)に相当離れた崖上から見える崖下の場所であった(甲122の写真25,原告亡D母証言)。そこで,原告亡D母は,I運転手が指示した崖下の悲惨な被災状況を見て精神的に動揺し,既にパニック状態に陥っていたI運転手と共に,L1主任教諭に付き添われて,いったん本件幼稚園Cに戻った。L1主任教諭は,津波に流されて崖下に押し寄せて燃えている民家や瓦礫等の火を消せば園児らを救うことができるのではないかなどととっさに考えて他の教諭らに対し,本件幼稚園C内の消火器を持って行くよう指示し(乙9,L1証言),実際にL2教諭らが消火器を持って上記現場付近に赴いたが,とても消火器で消せるような被災状況ではなかった(乙22)。

I運転手は,本件幼稚園Cに戻った後は,寒さと打撲の痛みもあって,保健室で休んでいた。

イ 原告亡E父は,勤務先の運輸会社の倉庫において本件地震に遭遇し,揺れが収まった後にトラックのラジオを入れ,津波警報が発令されたことを知ったが,その津波警報がすぐに大津波警報に変わり,石巻市で6m以上の津波が予想されると聞いたことから,本社に避難し,更に午後3時40分頃に,会社から新境町にある自宅へ徒歩で帰宅した。本件地震による津波発生後には,原告亡E両親の自宅から本件幼稚園Cへ向かう途中の道路が冠水していたため,原告亡E父が本件幼稚園Cに亡Eを迎えに行くことはできなかった(甲111,原告亡E父供述)。

翌12日に亡Eの祖母と大叔母が冠水した道路に浸水しながら本件幼稚園Cを訪れたところ,被告B2園長から,亡Eが本件小さいバスで送迎されている最中に津波にのまれて被災したことを告げられ,被災現場の坂が見える場所付近を案内され,焼け焦げた自動車が本件小さいバスである旨の説明を受けたが,その自動車は本件小さいバスではなかったことが後日判明した(乙8)。


ウ 原告亡F父は,本件地震発生当日の夕方,本件幼稚園Cを訪れ,L1主任教諭に対し,「Fの父ですが,Fはどこですか。」と尋ねたが(乙9),同教諭からは「津波にのみ込まれたかもしれません。」と言われただけで,それ以上の詳しい状況を教えてもらえなかったため,日和山周辺の避難所を捜し回ったが,亡Fを見付けることができなかった。そこで,原告亡F父は,午後6時30分頃,再び本件幼稚園Cに戻り,被告B2園長に対し「バスと連絡は取れましたか?」と尋ねたところ,被告B2園長が何も言わずに首を横に振るだけであったことから,引き続き連絡が取れていないものにすぎないと理解し,日和山周辺の避難所を一晩中捜し回った上,翌12日も,本件小さいバスの第3便のルートである貞山,新橋,蛇田周辺の道路や避難所を捜し歩いた(甲113)。しかし,13日午後になって原告亡F両親は,同亡E両親から,亡Fを含む本件被災園児ら5名が被災したことを知らされた(甲111)。


本件地震当時に次女と共に自宅にいた原告亡F母は,本件地震後に,本件幼稚園Cに電話をしたが,つながらなかった。11日午後3時過ぎ,原告亡F母は,熊本県在住の弟から電話を受け,「10mの津波って言ってるよ。大丈夫か。Fは。」と聞かれたが,「Fは高台の幼稚園だから大丈夫だと思う。」などと答え,午後3時過ぎ出発予定の送迎バスなので,本件幼稚園Cにとどまっているものと思っていた。


エ 原告亡G母は,本件地震後,本件幼稚園Cへ電話をかけても繋がらないため心配になり,自宅から自動車で本件幼稚園Cに向かったが,途中で渋滞に巻き込まれ,津波が市街地に流れてきたのを見て急いでUターンして4階建ての自宅共同宿舎に戻り,自宅1階が冠水したため,4階に避難した。


本件幼稚園Cの近くに居住する原告亡G母の祖父母が本件地震当日の午後5時前頃に本件幼稚園Cを訪れたが,被告B2園長からは,「バスが津波に巻き込まれたようです。」と聞かされただけであって,詳しい経過を教えてもらえなかったため,その旨を原告亡G父に電話連絡した(甲115,116)。


原告亡G父は,Tに勤務し,勤務先での情報収集や対策に追われていたため,両親から亡Gが被災したかもしれないことを電話で聞いても,直ちには亡Gの安否確認に行くことができなかった。原告亡G父が13日になってようやく本件幼稚園Cを訪れたところ,被告B2園長から,亡Gが被災した旨の話を聞き,被災場所付近を案内されたが,焼け焦げた別の自動車を本件小さいバスであると被告B2園長から説明された(甲115,116,乙8)。

オ 被告B2園長ら職員は,本件地震発生後には,園児を迎えに来た保護者の対応のほか,怪我をして運ばれてくる人の手当てをしたり,避難して来た人の世話や,その炊き出しをしていたが,夜中になってから防災行政無線による避難命令に従って門脇中学校に避難した。

12日に被告B2園長とK運転手が本件小さいバスを捜し,坂の上から見えた焼け焦げた自動車を本件小さいバスであると誤認した。

カ 平成23年3月14日,本件被災園児4名の両親である原告らが本件被災園児ら4名を捜索することとなり,3月12日に被告B2園長から本件小さいバスとして指示されていた自動車内等を捜索したが,同車にはゴルフバッグが載せられていることから,それが本件小さいバスではないことに直ちに気付き,原告亡D父らにおいて更にその付近を捜索した結果,二,三m海側(南側)の場所(坂の入り口の本件被災現場より北側へ約二,三
十m離れた場所)に焼け焦げた本件小さいバスが横転しているのを発見し(甲123),上に載っていた瓦礫等を取り除くと,その車内には本件被災園児ら5名が互いに抱き合うように同一方向に向いているのを発見し,焼け残った衣服の柄その他の特徴によりそれぞれの子らであることを確認した(甲13,109,123の写真1〜6,乙27の写真③,⑤,原告亡D父供述)。


3月19日,教諭らにおいて本件小さいバスが発見された付近を更に捜索した結果,亡Hの残りの遺体が発見された(乙8)。なお,J添乗員の遺体は,発見されなかった。


本件被災園児ら5名の詳細な死因及び死亡時期は不明である。

(17)本件地震による東日本大震災の被害状況

本件地震においては,宮城県牡鹿半島から100㎞ないし200㎞離れた海底のプレート境界でずれが生じ,それが岩手沖から福島沖,茨城沖までの南北に広がり,約3分間の間に,長さ約500㎞,幅約200㎞の範囲にわたって破壊が進み,断層が最大で20mないし30mずれた(乙16)。本件地震後に観測された最大津波高さは11.8m(大船渡)であり(観測機器が破壊されたために正確な計測ができなかったが,場所によっては15mの高さの津波が押し寄せ,津波痕跡の中には30mに及ぶ場所もあるとも言われている。),石巻市で観測された津波の高さは7.7mであった(乙1,16)。



石巻市内の津波による主な浸水状況は,別紙「津波浸水図」(乙1)記載のとおりであり,海岸から約700m離れていた門脇小学校の津波浸水高さは約6.97m(東京湾の平均海面を標高0mとしたときの高さ)であり(乙1),門脇小学校の1階玄関戸上部にまで達し(甲137),本件被災現場に近い日和山の崖下に残る津波遡上高は約7.04mであった(乙1)。


本件地震による平成24年3月13日現在の死者1万6278名,不明2994名,負傷者6179名,住家全壊12万9198棟,住家半壊25万4238棟,住家一部損壊71万5192棟であった(甲75の5・気象庁ホームページ)。



石巻市においては,約2340名が死亡し,約2700名が行方不明となり,約2万8000棟の住家が全壊となった(乙16)。


(18)本件訴訟提起に至るまでの状況等


ア 本件被災園児ら5名が発見された14日には被告B2園長が一日中本件幼稚園Cを不在にしていたため,15日に被告B2園長から被災に至る経過について説明を受けることとなり,本件被災園児ら4名の保護者らは,同日,被告B2園長に対し,本件小さいバスを出発させた経過や情報収集の状況等について説明を求め,地震マニュアルの開示を求めた。

これに対し,被告B2園長は,「本件小さいバスを出発させたのは,自分の判断ミスである。バスの運転手にはラジオをつけろと言った。」などと説明し(本件において,実際に被告B2園長がラジオをつけろと指示した事実を認めるに足りる証拠はない。),本件幼稚園C地震マニュアルについては職員室に捜しに行ったが,保護者らに対してはその開示をしなかった(甲113,原告亡E父証言6頁)。

イ 平成23年4月9日には,被告B1学院は,原告ら保護者の求めにより,本件幼稚園Cによる2回目の説明会を開催した。


ウ 平成23年4月11日には,事務長B3と教諭らが本件被災園児ら5名の焼香をするため,各遺族の家庭を訪問した際,被告B1学院からの弔慰金200万円を持参したが,亡Hの遺族以外からは,その受領を拒絶された。


エ 平成23年4月12日,被告B1学院は,保護者64名に対し,3回目の説明会を実施した。


オ 平成23年4月20日,被告B1学院は,事実経過に関する時系列表(甲5)を作成して,希望する保護者に交付した。


カ 平成23年5月17日,原告亡G両親において被告B1学院から弔慰金200万円を受領した。


キ 平成23年5月21日,被告B1学院は,本件被災園児ら4名の遺族に対し,マスコミ関係者も交えて,4回目の説明会を行った。

ク 平成23年5月28日以降,原告亡D両親,同亡E両親及び同亡F両親は,被告B1学院から1遺族当たり弔慰金各200万円を受領した。


ケ 被告B1学院が加入していた独立行政法人日本スポーツ振興センターの災害給付制度の特例的な適用により,本件被災園児ら5名に対しては特別弔慰金として1遺族当たり500万円が支給された(乙14)。

コ 平成23年8月10日,原告らは,本件の事実関係が明らかになり,将来の大地震発生時にも教育関係者が子供の命を最優先に考えて行動し,二度と本件のような悲惨な結果を繰り返さなくなることなどを願って,本件訴訟を提起した。

サ 被告B1学院は,平成25年3月をもって本件幼稚園Cを休園した。