最判平成22年4月9日 沖縄返還密約文書公開訴訟地裁判決

最判平成22年4月9日 沖縄返還密約文書公開訴訟地裁判決
全文

判旨
第2 事案の概要
本件は,原告らが,「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(昭和47年条約第2号。以下「沖縄返還協定」という。)の締結に至るまでの日本政府と米国政府との間の交渉(以下「沖縄返還交渉」という。)において,日本が米国に対して沖縄返還協定で規定した内容を超える財政負担等を国民に知らせないままに行う旨の合意(いわゆる「密約」)があったとして,外務大臣及び財務大臣に対し,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「情報公開法」という。)4条1項に基づき,上記密約を示
す行政文書及びそれに関連する行政文書の開示を請求したところ,外務大臣及び財務大臣から,いずれの行政文書についても保有していないこと(不存在)を理由とする各不開示決定を受けたため,被告に対し,上記各不開示決定の取消し及び上記各行政文書の開示決定の義務付けを求めるとともに,上記各不開示決定によって精神的損害を被ったと主張して,国家賠償法1条1項に基づき,原告1人当たり各10万円及びこれに対する上記各不開示決定の日である平成20年10月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。


1 前提となる事実

本件の前提となる事実は,次のとおりである。証拠により容易に認めることができる事実等については,その根拠(証拠に枝番があるものは,特記しない限り枝番を含む。以下同じ。)を末尾に付記した。その余の事実は,当事者間に争いがない。

(1) 沖縄返還交渉の概観

琉球諸島及び大東諸島(以下,両者を併せて「沖縄」という。)は,第2次世界大戦におけるいわゆる沖縄戦の後,米国軍隊(以下「米軍」という。)の占領下に置かれ,その後,「日本国との平和条約」(昭和27年条約第5号)3条に基づき,米国が暫定的に施政権を行使していた。

米国の施政権下の沖縄においては,米軍兵による幼女に対する暴行殺害事件(昭和30年),米軍機が小学校に墜落する事故(同34年)などの重大な事件及び事故が発生し,我が国では,沖縄に対する米国の施政権の我が国への返還(以下「沖縄返還」という。)を早期に実現することを求める運動が高まっていたところ,沖縄返還を政治的課題として掲げた佐藤
栄作総理大臣(以下「佐藤総理大臣」という。)は,同40年8月,沖縄を訪問し,「沖縄の祖国復帰が実現しない限り,我が国にとっての『戦後』は終わっていない」との声明を発表した。そして,我が国は,いわゆる「核抜き,本土並み」を目指して沖縄返還交渉に臨むことになった。(甲24,弁論の全趣旨)

イ佐藤総理大臣及び米国のリンドン・B・ジョンソン大統領(以下「ジョンソン大統領」という。)は,昭和40年1月12日及び13日,米国のワシントンD.C.(以下「ワシントン」という。)で会談し,同日,共同声明を発表した。同共同声明には,沖縄返還に関連して,「総理大臣は,これらの諸島の施政権ができるだけ早い機会に日本へ返還されるようにとの願望を表明し」,「大統領は,施政権返還に対する日本の政府及び国民の願望に対して理解を示し,極東における自由世界の安全保障上の利益が,この願望の実現を許す日を待望していると述べた。」との記述がある。(甲26)

また,佐藤総理大臣及びジョンソン大統領は,昭和42年11月14日及び15日,ワシントンで会談し,同日,共同コミュニケを発表した。同共同コミュニケには,「総理大臣は,沖縄の施政権の日本への返還に対する日本政府及び日本国民の強い要望を強調し,日米両国政府及び両国民の相互理解と信頼の上に立って妥当な解決を早急に求めるべきであると信ずる旨を述べた。総理大臣は,さらに,両国政府がここ両三年以内に双方の満足しうる返還の時期につき合意すべきであることを強調した。大統領は,これら諸島の本土復帰に対する日本国民の要望は,十分理解しているところであると述べた。」との記述がある。(甲27)

ウ 愛知揆一外務大臣(以下「愛知外務大臣」という。)は,昭和44年6月及び9月にワシントンで,同年7月に東京で,それぞれ米国のウィリアム・P・ロジャーズ国務長官(以下「ロジャーズ国務長官」という。)と会談し,沖縄返還の問題について協議した。(甲29,弁論の全趣旨)

福田赳夫大蔵大臣(以下「福田大蔵大臣」という。)は,昭和44年9月27日及び28日,米国のバージニア州フェアフィールド・ファームにおいて,米国のデービッド・ケネディ財務長官(以下「ケネディ財務長官」という。)と会談した(以下「福田・ケネディ会談」という。)。なお,原告らは,福田・ケネディ会談において沖縄返還の問題についての協議がされたと主張しているのに対し,被告はこれを争っている。(甲29,弁論の全趣旨)

オ佐藤総理大臣及び米国のリチャード・M・ニクソン大統領は,昭和44年11月19日から21日まで,ワシントンで会談し,同日,共同声明を発表した(「佐藤栄作総理大臣とリチャード・M・ニクソン大統領との間の共同声明」。以下「佐藤・ニクソン共同声明」という。)。佐藤・ニクソン共同声明には,次の記述がある。

(ア) 6項総理大臣は,日米友好関係の基礎に立つて沖縄の施政権を日本に返還し,沖縄を正常な姿に復するようにとの日本本土及び沖縄の日本国民の強い願望にこたえるべき時期が到来したとの見解を説いた。大統領は,総理大臣の見解に対する理解を示した。総理大臣と大統領は,また,現在のような極東情勢の下において,沖縄にある米軍が重要な役割を果たしていることを認めた。討議の結果,両者は,日米両国共通の安全保障上の利益は,沖縄の施政権を日本に返還するための取決めにおいて満たしうることに意見が一致した。よつて,両者は,日本を含む極東の安全をそこなうことなく沖縄の日本への早期復帰を達成するための具体的な取決めに関し,両国政府が直ちに協議に入ることに合意した。さらに,両者は,立法府の必要な支持をえて前記の具体的取決めが締結されることを条件に1972年中に沖縄の復帰を達成するよう,この協議を促進すべきことに合意した。これに関連して,総理大臣は,復帰後は沖縄の局地防衛の責務は日本自体の防衛のための努力の一環として徐徐にこれを負うとの日本政府の意図を明らかにした。また,総理大臣と大統領は,米国が,沖縄において両国共通の安全保障上必要な軍事上の施設及び区域を日米安保条約に基づいて保持することにつき意見が一致した。
(イ) 8項
総理大臣は,核兵器に対する日本国民の特殊な感情及びこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し,大統領は,深い理解を示し,日米安保条約事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく,沖縄の返還を,右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した。
(ウ) 9項
総理大臣と大統領は,沖縄の施政権の日本への移転に関連して両国間において解決されるべき諸般の財政及び経済上の問題(沖縄における米国企業の利益に関する問題も含む。)があることに留意して,その解決についての具体的な話合いをすみやかに開始することに意見の一致をみた。(甲28,乙7)
カ我が国における沖縄返還交渉の関連事務については,外務省がこれを主管し,愛知外務大臣がロジャーズ国務長官及びアーミン・H・マイヤー駐日米国大使(以下「マイヤー大使」という。)との間で交渉をしたほか,愛知外務大臣の指示の下,吉野文六(以下「吉野」という。)を含む外務省アメリカ局長が駐日米国公使のリチャード・スナイダー(以下「スナイダー」という。)との間で交渉を行った。また,外務省は,沖縄返還交渉を進めるに当たり,関係省庁と各々の所管事項につき協議を行ったが,その方法については,閣僚レベルのものから担当部局間の連絡及び調整まで,様々な態様のものがあった。
ただし,沖縄返還交渉のうち,米国の財政負担により設けられた資産等の取扱いを含む財政及び経済上の問題(以下「財政経済問題」という。)については,主として大蔵省と米国の財務省との間で数次の公式交渉が行われた。大蔵省では,福田大蔵大臣の指示の下,大蔵省財務官の柏木雄介(以下「柏木」という。)が米国の財務省との交渉及び国内の調整に当たった。そして,同交渉は,最終的には,沖縄返還協定の締結に向けて,外交経路での協議に引き継がれた。(弁論の全趣旨)


沖縄返還交渉の結果,昭和46年6月17日,愛知外務大臣は東京の総理大臣官邸において,ロジャーズ国務長官はワシントンの国務省において,沖縄返還協定にそれぞれ署名をした。沖縄返還協定は,同年11月24日に衆議院において,また,同年12月22日に参議院においてそれぞれその締結が承認され,国内法上の承認手続を終了し,同47年3月15日,批准書の交換が行われた。

沖縄返還協定には,次の内容の規定がある。
(ア) 4条
1 日本国は,この協定の効力発生の日前に琉球諸島及び大東諸島におけるアメリカ合衆国の軍隊若しくは当局の存在,職務遂行若しくは行動又はこれらの諸島に影響を及ぼしたアメリカ合衆国の軍隊若しくは当局の存在,職務遂行若しくは行動から生じたアメリカ合衆国及びその国民並びにこれらの諸島の現地当局に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄する。
2 (略)
アメリカ合衆国政府は,琉球諸島及び大東諸島内の土地であつて合衆国の当局による使用中1950年7月1日前に損害を受け,かつ,1961年6月30日後この協定の効力発生の日前にその使用を解除されたものの所有者である日本国民に対し,土地の原状回復のための自発的支払を行なう。この支払は,1961年7月1日前に使用を解除された土地に対する損害で1950年7月1日前に加えられたものに関する請求につき1967年の高等弁務官布令第60号に基づいて行なつた支払に比し均衡を失しないように行なう。
4 (略)
(イ) 6条
琉球電力公社,琉球水道公社及び琉球開発金融公社の財産は,この協定の効力発生の日に日本国政府に移転し,また,これらの公社の権利及び義務は,同政府が同日に日本国の法令に即して引き継ぐ。
2 その他のすべてのアメリカ合衆国政府の財産で,この協定の効力発生の日に琉球諸島及び大東諸島に存在し,かつ,第3条の規定に従つて同日に提供される施設及び区域の外にあるものは,同日に日本国政府に移転する。ただし,この協定の効力発生の日前に関係土地所有者に返還される土地の上にある財産及びアメリカ合衆国政府が日本国政府の同意を得て同日以後においても引き続き所有する財産は,この限りでない。
アメリカ合衆国政府が琉球諸島及び大東諸島において埋め立てた土地並びに同政府がこれらの諸島において取得したその他の埋立地であつて,同政府がこの協定の効力発生の日に保有しているものは,同日に日本国政府の財産となる。
アメリカ合衆国は,1及び2の規定に従つて日本国政府に移転する財産のある土地に対してこの協定の効力発生の日前に加えられたいかなる変更についても,日本国又は日本国民に補償する義務を負わない。
(ウ) 7条
日本国政府は,合衆国の資産が前条の規定に従つて日本国政府に移転されること,アメリカ合衆国政府が琉球諸島及び大東諸島の日本国への返還を1969年11月21日の共同声明第8項にいう日本国政府の政策に背馳しないよう実施すること,アメリカ合衆国政府が復帰後に雇用ちの分野等において余分の費用を負担することとなること等を考慮し,この協定の効力発生の日から5年の期間にわたり,合衆国ドルでアメリカ合衆国政府に対し総額3億2000万合衆国ドルを支払う。日本国政府は,この額のうち,1億合衆国ドルをこの協定の効力発生の日の後1週間以内に支払い,また,残額を4回の均等年賦でこの協定が効力を生ずる年の後の各年の6月に支払う。
(エ) 8条
日本国政府は,アメリカ合衆国政府が,両政府の間に締結される取極に従い,この協定の効力発生の日から5年の期間にわたり,沖縄島におけるヴォイス・オヴ・アメリカ中継局の運営を継続することに同意する。両政府は,この協定の効力発生の日から2年後に沖縄島におけるヴォイス・オヴ・アメリカの将来の運営について協議に入る。
(2) 外務大臣に対する開示請求及び外務大臣の不開示決定
ア原告ら外38名は,平成20年9月2日,外務大臣に対し,情報公開法4条1項に基づき,別紙1−1行政文書目録1記載の各行政文書(以下,併せて「本件各文書1」といい,それぞれの文書については「本件文書1(1)」のように表記する。)の開示を請求した(以下「本件開示請求1」という。)。
10
イ本件文書1(1)及び(2)はいずれも1枚の書面であり,それらと同一内容の各文書(写し)が米国国立公文書館で公開されているもので,本件開示請求1に係る行政文書開示請求書には,本件文書1(1)及び(2)を特定するため,上記のとおり公開されている各文書の写しが添付されていた。本件文書1(1)の記載内容は別紙2−1のとおりであり,その欄外には「B.Y.」という手書きの書込みがある。また,在日米国大使館が沖縄返還協定調印直後の昭和46年6月24日付けで米国の国務省条約問題法務顧問補佐あてに送付した沖縄返還文書つづり(甲37。以下「沖縄返還文書つづり」という。)には,本件文書1(1)と同一内容の文書が含まれており,同文書の標目には「Original of Summation of Discussion ofArticle Ⅳ, Para 3, in English, initialed by Mr. Sneider and Mr.Yoshino」と記載されている。
本件文書1(2)の記載内容は別紙2−2のとおりである。米国国立公文書館で公開されている同一内容の文書(写し)そのものからは,本件文書1(1)のような手書きの書込みを確認することはできないが,沖縄返還文書つづりには,本件文書1(2)と同一内容の文書が含まれており,同文書の標目には「Memorandum, June 11, 1971, concerning construction outsideJapan of a VOA facility, in English, initialed by Mr. Sneiderand Mr. Yoshino」と記載されている。(甲1から4まで,13,25,37,原告P1本人)
外務大臣は,平成20年10月2日,本件開示請求1をした原告ら外38名に対し,本件各文書1を不開示とする決定(以下「本件処分1」という。)をした。本件処分1に係る決定通知書には,「当省は該当する文書を保有していないため,不開示(不存在)としました。」との記載がある。
(3) 財務大臣に対する開示請求及び財務大臣の不開示決定
ア原告ら外38名は,平成20年9月2日,財務大臣に対し,情報公開法4条1項に基づき,別紙1−2行政文書目録2記載の各行政文書(以下,併せて「本件各文書2」といい,それぞれの文書については「本件文書2(1)」のように表記する。)の開示を請求した(以下「本件開示請求2」という。)。
イ本件文書2(1)は3枚から成る書面であり,それと同一内容の文書(写し)が米国国立公文書館で公開されているもので,本件開示請求2に係る行政文書開示請求書には,本件文書2(1)を特定するため,上記のとおり公開されている文書の写しが添付されていた。本件文書2(1)の記載内容は別紙2−3のとおりであり,その1枚目及び3枚目には2箇所,2枚目には1箇所,それぞれ「AJJ」及び「YK」という手書きの書込みがある。(甲5,6,14,25,原告P1本人)
財務大臣は,平成20年10月2日,本件開示請求2をした原告ら外38名に対し,本件各文書2を不開示とする決定(以下「本件処分2」といい,本件処分1と併せて「本件各処分」という。)をした。本件処分2に係る決定通知書には,「本件対象文書を保有していないため,対象文書の不存在による不開示としました。なお,今回の開示請求を受けて,行政文書ファイル管理簿による調査や行政文書の保存場所の探索を行いましたが,本件対象文書を作成又は取得した事実は確認できず,また,廃棄及び国立公文書館への移管の記録もありませんでした。」との記載がある。

(4) 外務省及び財務省における各文書管理体制
ア外務省における文書管理体制

(ア) 本件文書1(1)及び(2)に記載された年月日(昭和46年6月11日及び12日)当時の外務省における文書管理体制を規定したものとしては,同36年9月1日付けの内規「外務省記録及び記録文書保管,保存,廃棄規程」(以下「外務省旧規程」という。)があった。外務省旧規程によれば,条約の締結交渉に関する一切の文書は第一類文書に分類され,永久保存するものとされていたが,他方,「文書課長は保存期限が経過しない記録または記録文書のうち,保存の必要がないと認められるに至つたものは関係局部課長と協議の上,官房長の決裁を経て,その保存を廃止することができる。」(12条2項)という規定もあった。(乙3)

(イ) 外務省では,昭和55年7月1日から,「外務省主管文書,記録文書管理規定」(昭和55年外務省訓令第6号。以下「外務省現規定」という。)が施行されているところ,外務省現規定においても,条約の締結交渉に関する一切の文書は第一類文書に分類され,永久保存するものとされているが,他方,外務省旧規程12条2項と同様,「総務課長は,第13条に基づき指定された永久若しくは有期限保存記録文書の中,保存期限の満了以前において特に保存の必要がなくなったと認められるものについては,関係局部課(室)長と協議の上官房長の決裁を経て廃棄することができる。」(21条1項)という規定もある。(乙4)

財務省における文書管理体制
(ア) 本件文書2(1)に記載された年月日(昭和44年12月2日)当時の大蔵省における文書管理体制を規定したものとしては,「大蔵省文書管理規程」(昭和27年大蔵省訓令特第1号。以下「大蔵省旧規程」という。)があった。大蔵省旧規程によれば,文書は「第1類文書 永久」,「第2類文書 10年間」,「第3類文書 5年間」又は「第4類文書1年間」に区分され,上記文書の類別は,「大蔵省文書保存類別基準表」に従って定めるものとされていた。(乙5)
(イ) 財務省では,平成13年1月6日から,「財務省行政文書管理規則」(平成13年財務省訓令第1号。以下「財務省現規則」という。)が施行されているところ,財務省現規則における文書の保存期間は,30年,10年,5年,3年,1年又は1年未満のいずれかの期間とされているが,他方,「文書管理者は,保存期間が満了した行政文書について,職務の遂行上必要があると認めるときは,一定の期間を定めて当該保存期間を延長することができる。この場合において,当該延長に係る保存期間が満了した後にこれを更に延長するときも,また同様とする。」(11条),「文書管理者は,保存期間(保存期間を延長した場合にあっては,延長後の保存期間)が満了した行政文書であって公文書館等において保存することが適当であると認めるものについては,当該機関に移管するものとする。」(16条1項)という各規定もある。(乙6)
(5) 本件訴えの提起
原告らは,平成21年3月16日,本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)

(6) 本件訴え提起後の事情

外務大臣は,平成21年9月16日,外務事務次官に対し,国家行政組織法10条及び14条2項に基づく大臣命令により,沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」を含む合計4つのいわゆる「密約」について,外務省内に存在する原資料を調査し,同年11月末を目処に,その調査めど結果を報告することを求めた。同大臣命令に基づく調査は,本件訴訟の口頭弁論終結日当時も継続中であった。(乙11,弁論の全趣旨)

2 争点
(1) 本件処分1の適法性(本件各文書1の存否及び本件処分1の理由付記の適法性)
(2) 本件処分2の適法性(本件各文書2の存否)
(3) 本件各文書1の開示決定の義務付けの訴え及び本件各文書2の開示決定
の義務付けの訴え(以下,併せて「本件各義務付けの訴え」という。)の適
法性(本案前の争点)及びその適否(本案の争点)
(4) 国家賠償請求の適否及び損害額

3 当事者の主張の要旨

第3 当裁判所の判断

1 争点に対する判断の基礎となる事実関係について
証拠(各末尾に付記したもの)によれば,次の各事実が認められ,この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 密約の成立と本件文書1(1),(2)及び2(1)が作成された経緯ア財政経済問題に関する密約の成立と本件文書2(1)が作成された経緯(ア) 沖縄返還交渉において,日本政府は,「米国から沖縄を金で買い戻す」という印象を日本国内で持たれたくないと考えていたため,福田大蔵大臣は,昭和44年9月27日及び28日の福田・ケネディ会談において,財政経済問題についての合意は佐藤・ニクソン共同声明の後にすべきであると主張した。これに対し,ケネディ財務長官は,米国は沖縄返還に伴う費用を負担しないという基本的立場を前提に,佐藤・ニクソン共同声明の前に日米両国間で財政経済問題に関する明確な合意をすることを求めた。そこで,日米両国間で財政経済問題に関する交渉が開始されることになったが,その内容は佐藤・ニクソン共同声明には盛り込まれないこととされた。なお,福田大蔵大臣は,ケネディ財務長官に対し,大蔵省の許可を得ることなく,外務省との間で財政経済問題に関する交渉をしないよう求め,ケネディ財務長官がこれに応じたため,以後,財政経済問題については,大蔵省と米国の財務省との間で直接交渉が行われることになった。(甲12,29,34,35)


(イ) 柏木及びジューリックは,東京において,昭和44年10月21日,財政経済問題に関する交渉を開始し,同交渉の結果,同年11月10日までに一応の合意に達した。同合意は,①日本が米国に買取資産の対価として1億7500万ドルを5年間の均等年賦払いにより現金で支払うこと,②日本が米国に移転費等関連費用2億ドル相当の物品及び役務を提供すること,③日本政府が通貨交換によって取得したドルの実際額又は6000万ドルのいずれか多い方の金額を米国の連邦準備銀行に25年間無利子で預金すること,④日本が社会保障費用として3300万ドルを負担することと要約される内容を含むものであった。マイヤー大使は,同日,ロジャーズ国務長官あてに電信文を発して上記合意の承認を求めるとともに(なお,マイヤー大使は,その際,上記③の無利子預金による米国の利益を1億1200万ドルと算定した上で,米国が上記合意によって合計5億2000万ドルの利益を得られると説明していた。),上記合意を了解覚書の形にするまでの段取りとして,同月12日,東京において,ジューリック及び福田大蔵大臣が,上記合意の内容が福田大蔵大臣とケネディ財務長官との間の合意を構成することを確認した上で,同年12月初旬に,ワシントンにおいて,柏木及びジューリックが了解覚書にイニシャルで署名をすることによって了解覚書を承認することを提案し,これらについて同年11月11日に本国政府の承認を得
た。(甲29から32まで,35,47)

(ウ) 福田大蔵大臣は,前記(イ)の段取りに従い,昭和44年11月12日,東京において,ジューリックの面前で,柏木が後にイニシャルで署名する予定の了解覚書を読み上げた。なお,柏木は,その際,同了解覚書と全く同一の内容のコピーを所持していた。(甲32)


(エ) 昭和44年11月21日,佐藤・ニクソン共同声明が発表されたが,財政経済問題については,前記第2の1(1)オ(ウ)のとおり「具体的な話合いをすみやかに開始することに意見の一致をみた」という記述になっており,前記(イ)の合意には触れられていなかった。

(オ) 柏木及びジューリックは,昭和44年12月2日,ワシントンにおいて,別紙2−3の内容が記載された書面に,各自のイニシャルである「YK」及び「AJJ」を書き込み,これによって本件文書2(1)が完成した。本件文書2(1)は,沖縄返還における財政経済問題に関して後に行う「詳細の折衝において双方が従うべき原則」についての共通理解の概要を示したもので,①日本が米国に買取資産の対価として1億7500万ドルを5年間の均等年賦払いにより現金で支払うこと,②日本が米国に移転費等関連費用2億ドル相当の物品及び役務を提供すること,③日本銀行が通貨交換によって取得したドルの実際額又は6000万ドルのいずれか多い方の金額を米国の連邦準備銀行に25年間無利子で預金すること,④日本が社会保障費用として3000万ドルを負担することと要約される内容を含むものである。本件文書2(1)の上記内容は,前記(イ)の合意の内容と基本的には同じであるが,本件文書2(1)は,表題が当初予定されていた「Memorandum of Understanding」(了解覚書)ではなく「Memo」となっているほか,米国の連邦準備銀行への無利子預金の主体が日本政府から日本銀行に,社会保障費用が3300万ドルから3000万ドルにそれぞれ変更され,また,移転費等関連費用2億ドルについて,「沖縄外への軍事施設の移転が合意されない場合には,このカテゴリーでの合意額は1億5000万ドルに減額される。」とされていたものが,「特定の軍事施設を沖縄外に移転する合意がなされているため,本カテゴリーでの合意額は,1億5000万ドルに減額するのではなく2億ドルのままにとどまる。」に変更されていることなどの相違点がある。なお,柏木がこのようにイニシャルで署名することについては,福田大蔵大臣はあらかじめ了承していた。(甲5,6,30から32まで,46)

(カ) その後,日米両国間で交渉が重ねられた結果,本件文書2(1)において合意された日本の財政負担の内容はその内訳が変更され,買取資産の対価(1億7500万ドル)を含む現金による支払額が3億ドルに増加し,その分,移転費等関連費用の物品及び役務による提供額は7500万ドルに減少した。そして,同7500万ドルのうち1000万ドルについては,米軍基地で稼働する日本人従業員に係る労務管理業務を担っていた日本に対する米国の支払を同額分減額することによって実現することになったため,物品及び役務による提供額はその残額である6500万ドルとなった。(甲34,35,46)

イ原状回復費用及びVOA施設移転費用に関する密約の成立と本件文書1
(1)及び(2)が作成された経緯

(ア) 財政経済問題以外の事項については,前記第2の1(1)カのとおり,愛知外務大臣がロジャーズ国務長官及びマイヤー大使との間で交渉を行い,愛知外務大臣の指示の下,吉野を含む外務省アメリカ局長が駐日米国公使のスナイダーとの間で交渉を行っていたが,①米国が軍用地として使用していた沖縄の土地のうち,「1950年7月1日前」すなわち昭和25年6月30日以前に損害を受け,かつ,「1961年6月30日後」すなわち同36年7月1日以後にその使用を解除されたものに係る原状回復費用(以下「本件原状回復費用」という。)の補償の問題と,②本件VOA施設の移転に関する問題については,交渉が終盤まで難航した。(甲18から21まで,34から36まで,証人吉野)

(イ) 本件原状回復費用について,日本側は,昭和36年6月30日以前に使用を解除された軍用地に係る原状回復費用の補償を米国が行っていたこととの均衡から,米国においてその自発的支払を行うことを沖縄返還協定に明記するよう求めた。これに対し,米国側は,沖縄返還に伴う費用を負担しないという前記ア(ア)の基本的立場や,軍用地に係る原状回復費用としては既に支払済みのもの以上の補償要求はない旨を議会に報告していたこと等の理由から,これに難色を示した。そして,交渉の結果,日本側は,同46年5月下旬までに,佐藤総理大臣,愛知外務大臣及び福田大蔵大臣も了承の上,本件原状回復費用として見積もられた400万ドルを前記ア(カ)の現金による支払額3億ドルに上乗せして支払うこととなり,同年6月9日までには,米国側が同400万ドルで信託基金を設立し,同信託基金から本件原状回復費用を支出することになった。このような処理をするに当たり,米国側は,愛知外務大臣による「日本政府は米政府による見舞金支払のための信託基金設立のため400万米ドルを米側に支払うものである」旨の不公表書簡の発出を求め,日本側において検討したが,米国側の説明によると,議会との関係で同書簡を発表せざるを得ない場合も絶無ではないとのことであったため,結局,同書簡は発出されないことになった。しかし,議会に対する説明のための資料作成という米国側の要請は残り,これを満たすため,日米の交渉責任者であった吉野及びスナイダーが書面にイニシャルで署名することで落着した。

吉野は,昭和46年6月12日,外務省のアメリカ局長室において,スナイダーが持参した別紙2−1の内容が記載された書面に,スナイダーと共にそれぞれイニシャルを書き込み,本件文書1(1)が完成した。なお,吉野がスナイダーと共にイニシャルを書き込んで本件文書1(1)を完成させることについて,愛知外務大臣及び外務省条約局長はあらかじめ了承していた。(甲1,2,18から21まで,34から36まで,証人吉野)

(ウ) 本件VOA施設については,日本側が,日本国外への移転を求めたのに対し,米国側は,本件VOA施設が果たしている役割の重要性から,これに難色を示した。交渉の結果,米国において5年後に本件VOA施設を日本国外へ移転することになったが,日本側は,遅くとも昭和46年5月下旬には,佐藤総理大臣,愛知外務大臣及び福田大蔵大臣も了承の上,本件VOA施設の日本国外への移転に要する費用(以下「本件移転費用」という。)として見積もられた1600万ドルを前記ア(カ)の現金による支払額3億ドルに上乗せして支払うこととなった。吉野は,昭和46年6月11日,外務省のアメリカ局長室において,スナイダーが持参した別紙2−2の内容が記載された書面にスナイダーと共にそれぞれイニシャルを書き込み,本件文書1(2)が完成した。なお,本件文書1(2)が作成された趣旨は,本件文書1(1)と同じく,米国政府の議会に対する説明のための資料としてのものであり,また,吉野がスナイダーと共にイニシャルを書き込んで本件文書1(2)を完成させることについて,愛知外務大臣及び外務省条約局長はあらかじめ了承していた。(甲3,4,12,18,21,33から36まで,44,45,証人吉野)

(2) 本件文書1(1),(2)及び2(1)の意義,重要性等について
ア本件文書1(1)及び(2)について
(ア) 本件文書1(1)は,別紙2−1の記載内容によれば,日本が,昭和46年6月12日,沖縄返還協定7条によって米国に支払う3億2000万ドルのうち400万ドルにつき,米国による本件原状回復費用の自発的支払のために確保することを予定していることを,米国に対して表明した文書であり,前記(1)イ(イ)のとおり,米国政府がそのことを議会に説明するための資料として作成されたものである。
また,本件文書1(2)は,別紙2−2の記載内容及び前記(1)イ(ウ)の作成経緯等によれば,日本が,昭和46年6月11日,沖縄返還協定7条によって米国に支払う3億2000万ドルのうち1600万ドルが本件移転費用に充てられることを前提に,仮に本件移転費用の実際の金額が1600万ドル未満で済んだ場合には,1600万ドルとの差額分を米国が日本に返金するのではなく,日本においてこれとは別に負担することとしていた施設改善移転費6500万ドル(前記(1)ア(カ)のとおり当初の2億ドルから減額されて最終的に6500万ドルとなった移転費等関連費用の物品及び役務による提供額を指すものと解され,同月9日の愛知外務大臣とロジャーズ国務長官との会談において,ロジャーズ国務長官が「使途につき日本政府のリベラルな解釈を期待する」と発言し,愛知外務大臣が「できる限りのリベラルな解釈をASSUREする」旨述べたという「65」と同義と解される。)から差し引くことによって調整することとしていることを,米国との間で合意した旨の文書であり,前記(1)イ(ウ)のとおり,米国政府がそのことを議会に説明するための資料として作成されたものである。
(イ) ところで,前記(1)イ(イ)及び(ウ)のとおり,沖縄返還協定7条に規定する3億2000万ドルという金額は,交渉の終盤において,本件文書2(1)では買取資産の対価としての1億7500万ドルだけであった現金による支払額がその後増加したことによる3億ドルに2000万ドル(本件原状回復費用の400万ドル及び本件移転費用の1600万ドルの合計額)が上乗せされたという経緯によって決まったものであり,沖縄返還協定4条3によって米国が自発的支払を行うこととされる本件原状回復費用と,日本に譲渡される米国の資産ではない本件VOA施設のための本件移転費用の両者について,実際には日本が負担することにしたということであるから,「米国から沖縄を金で買い戻す」という印象を日本国内で持たれたくないと考えていた日本政府としては,3億2000万ドルという金額が決まった上記の経緯やその実際の内訳について,これを国民に秘匿する必要があった。沖縄返還協定7条が「合衆国の資産が前条の規定に従つて日本国政府に移転されること,アメリカ合衆国政府が琉球諸島及び大東諸島の日本国への返還を1969年11月21日の共同声明第8項にいう日本国政府の政策に背馳しないよう実施すること,アメリカ合衆国政府が復帰後に雇用の分野等において余分の費用を負担することとなること等を考慮し」て日本が米国に3億2000万ドルを支払うという表現になり,同金額の内訳が限定列挙されなかったのはそのためであり,同表現を前提にすれば,日米両国がそれぞれの立場から上記3億2000万ドルの内訳を説明することができ,実際に同金額を受領した米国において,そのうち400万ドルを本件原状回復費用に,1600万ドルを本件移転費用にそれぞれ充てることがあったとしても,日本としては関知しないという態度を取ることが可能であったものである。

(ウ) しかし,本件文書1(1)及び(2)の前記(ア)の内容は,沖縄返還協定7条に規定する3億2000万ドルという金額には本件原状回復費用及び本件移転費用が含まれており,実際には日本が国民に知らせないままにこれらを負担することを米国との間で合意していたこと(密約)を示すものというべきである。また,本件文書1(2)は,そもそも日本政府がその存在自体を秘匿していた移転費等関連費用の物品及び役務による提供額6500万ドルに言及するものでもある。以上によれば,日本政府としては,本件文書1(1)及び(2)の存在及び内容を秘匿する必要があったものと考えられる。

(エ) また,弁論の全趣旨によれば,敗戦の結果として我が国が施政権を失った領土である沖縄の返還交渉と返還の実現は,我が国の戦後の外交史上特筆されるべき外交交渉とその成果であることが認められるのであり,その交渉過程で交渉責任者間で合意に至ってサインをした本件文書1(1)及び(2)は,前記(1)イ(イ)及び(ウ)のとおり,交渉が終盤まで難航した本件原状回復費用の問題及び本件VOA施設移転の問題について,これらを最終的に決着させるために作成されたものであるから,沖縄返還交渉における難局を打開した経緯又は手法を示す外交関係文書として,第一級の歴史的価値を有するものであり,極めて重要性が高い文書というべきである。また,なお未解決の領土問題を抱える我が国にとっては,後の外交交渉にいかすことができる資料としての価値も高いものである。さらに,本件文書1(2)は,本件移転費用の実際の金額が1600万ドル未満であった場合に日本の他の負担を減額させることをうたっているのであるから,日本にとっては経済的な意味でも重要な文書といえる。

(オ) 被告は,本件文書1(1)及び(2)について,国家間の合意等を示す文書としての一般的な形態を備えてない上,表題も「議論の要約」及び「メモ」にすぎず,また,各文中には,日米両政府間の交渉において到達した了解や合意であることを示したり,それを示唆したりする具体的な文言はないことなどを根拠に,最終的な合意文書ではなく,米国側によって交渉過程の途中の記録として作成された文書にすぎないと理解するのが自然であると主張する。
しかし,本件文書1(1)及び(2)が作成された経緯は前記(1)イ(イ)及び(ウ)のとおりであって,沖縄返還協定7条に規定する3億2000万ドルという金額には本件原状回復費用及び本件移転費用が含まれており,実際には日本がそれらを負担するものであるということについて,米国政府において議会に説明するための資料となる文書の作成を求められた日本側が,検討の結果,愛知外務大臣及び外務省条約局長も了承した上で,日米の交渉責任者であった吉野及びスナイダーがイニシャルで署名することで落着させたというものであるから,それらが最終的な合意文書でない,又は米国側によって交渉過程の途中の記録として作成された文書にすぎないということはできない。そして,本件文書1(1)及び(2)は,日本政府においてその存在及び内容を秘匿する必要があったからこそ,通常の外交文書とは異なる形態や表題等が用いられたものというべきである。被告の前記主張は採用することができない。

イ本件文書2(1)について

(ア) 本件文書2(1)は,前記(1)ア(オ)のとおり,沖縄返還における財政経済問題に関して後に行う詳細の折衝において日米両国が従うべき原則についての共通認識の概要を示したもので,①日本が米国に買取資産の対価として1億7500万ドルを5年間の均等年賦払いにより現金で支払うこと,②日本が米国に移転費等関連費用2億ドル相当の物品及び役務を提供すること,③日本銀行が通貨交換によって取得したドルの実際額又は6000万ドルのいずれか多い方の金額を米国の連邦準備銀行に25年間無利子で預金すること,④日本が社会保障費用として3000万ドルを負担することと要約される内容を含むものであり,日本が,佐藤・ニクソン共同声明の直後である昭和44年12月2日の時点で既に財政経済問題に関する交渉をほぼ終了させた上で,沖縄返還協定7条によって米国に支払う3億2000万ドルを上回る財政負担を国民に知らせないままに行うことを米国との間で前もって合意していたこと(密約)を示すものであるから,日本政府としては,その存在及び内容を秘匿する必要があったものと考えられる。

(イ) また,本件文書2(1)が作成された後の財政経済問題をめぐる交渉は,本件文書2(1)に示された原則に従い,基本的にはその範囲内で進められたのであり,交渉の終盤で上乗せされた2000万ドルを除けば,日本の財政負担の大枠は本件文書2(1)において決まっていたということができるから,本件文書2(1)は,極めて重要性が高い文書というべきである。そして,それが,我が国の後の外交交渉にいかすことができる資料としても高い価値を有することや,我が国の財政負担の上限を画するという経済的な面からも重要な文書であることは,本件文書1(1)及び(2)と同様である。

(ウ) 被告は,本件文書2(1)について,国家間の合意等を示す文書としての一般的な形態を備えてない上,表題も「メモ」にすぎず,また,文中には,日米両政府間の交渉において到達した了解や合意であることを示したり,それを示唆したりする具体的な文言はないこと,沖縄返還協定と比較すると支払金額及び買い取る資産の内訳が大きく異なること,国際的約束締結権限を有しない大蔵省の代表の作成に係るものであることなどを根拠に,最終的な合意文書ではなく,米国側によって交渉過程の途中の記録として作成された文書にすぎないと理解するのが自然であると主張する。

しかし,本件文書2(1)が作成された経緯は前記(1)アのとおりであって,また,前記(ア)のとおり,柏木及びジューリックにおいて,日本が沖縄返還協定における支払金額を上回る財政負担をする旨を佐藤・ニクソン共同声明の前に合意したため,日本政府としては本件文書2(1)の存在及び内容を秘匿する必要があったのであり,そうであるからこそ,通常の外交文書とは異なる形態や表題等が用いられたものである。また,甲24及び弁論の全趣旨によれば,沖縄返還に当たって米国から日本に移転される資産として,最終的に那覇空港施設が加わったことが認められるが,日本の財政負担の大枠を決めるものであったという本件文書2(1)の位置付け及びその重要性が揺らぐことはないものである。被告の前記主張は採用することができない。
2 争点に対する判断
(1) 争点(1)(本件処分1の適法性(本件各文書1の存否及び本件処分1の理由付記の適法性))について

ア本件各文書1の存否について

(ア) 本件各文書1の存否に関する主張立証責任について

a 情報公開法3条は,「何人も,(…略…)行政機関の長(…略…)に対し,当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求することができる。」と規定しているところ,上記の「行政文書」とは,行政機関の職員が職務上作成し,又は取得した文書,図画及び電磁的記録であって,当該行政機関が保有しているものをいう(情報公開法2条2項柱書き本文)。

そうすると,情報公開法3条が規定する行政文書の開示請求権に基づいて開示を請求することができるのは,行政機関が保有している行政文書であるということになるから,ある行政文書の開示請求権が発生するためには,行政機関において当該行政文書を保有していることが必要であり,したがって,行政機関が文書を保有していることは,当該行政文書の開示請求権発生の要件ということができる。

したがって,開示請求の対象である行政文書を行政機関が保有していないこと(当該行政文書の不存在)を理由とする不開示決定の取消訴訟においては,同訴訟の原告である開示請求者が,行政機関が当該行政文書を保有していること(当該行政文書の存在)について主張立証責任を負うと解するのが相当である。

なお,情報公開法9条2項によれば,行政機関の長が不開示決定及び同決定の書面による通知をする際には,①開示請求に係る行政文書に情報公開法5条各号の不開示情報が記録されているとしてその全部を開示しない場合,②情報公開法8条の規定により行政文書の存否を明らかにしないで開示請求を拒否する場合及び③開示請求に係る行政文書を保有していない場合は区別されていないが,そうであるからといって主張立証責任の分配について上記3つの場合を同様に解するべきであるとはいえず,また,原告らが強調する情報公開法の目的を考慮しても,前記のとおり説示した行政文書の存否に関する主張立証責任についての結論は左右されるものではない。

b もっとも,取消訴訟の原告である開示請求者は,不開示決定において行政機関が保有していないとされた行政文書に係る当該行政機関の管理状況を直接確認する権限を有するものではないから,前記aで説示した主張立証責任を果たすため,基本的には,①過去のある時点において,当該行政機関の職員が当該行政文書を職務上作成し,又は取得し,当該行政機関がそれを保有するに至り,②その状態がその後も継続していることを主張立証するほかないことになる。そして,当該行政文書が,当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして一定水準以上の管理体制下に置かれることを考慮すれば,原告である開示請求者において上記①を主張立証した場合には,上記②が事実上推認され,被告において,当該行政文書が上記不開示決定の時点までに廃棄,移管等されたことによってその保有が失われたことを主張立証しない限り,当該行政機関は上記不開示決定の時点においても当該行政文書を保有していたと推認されるものというべきである。

c 以上によれば,原告らは,外務省が本件処分1の当時本件各文書1を保有していたこと(本件各文書1の存在)についての主張立証責任を負うが,原告らが,過去のある時点において外務省の職員が本件各文書1を職務上作成し,又は取得し,外務省がそれらを保有するに至ったことを主張立証した場合には,外務省による本件各文書1の保有がその後も継続していることが事実上推認され,被告において,本件各文書1が本件処分1の時点までに廃棄,移管等されたことによってそれらの保有が失われたことを主張立証しない限り,外務省は本件処分1当時も本件各文書1を保有していたと認められるものである。

(イ) 外務省による本件各文書1の保有について

a 外務省が昭和46年6月ころに本件各文書1を保有するに至ったこと

(a) 甲3,4,21,証人吉野及び弁論の全趣旨によれば,吉野は,昭和46年6月11日,外務省のアメリカ局長室において,スナイダーが持参した別紙2−2の内容が記載された書面に,スナイダーと共にそれぞれイニシャルを書き込み,本件文書1(2)を完成させ(前記1(1)イ(ウ)のとおり),外務省アメリカ局アメリカ第一課(以下「アメリカ第一課」という。)の事務官にその写しを取らせたこと,及び本件文書1(2)の原本はスナイダーが持ち帰ったが,上記写しについては同事務官がアメリカ第一課に届けたことが認められる。以上の各事実によれば,外務省は,このころ,外務省の職員である吉野が職務上作成した文書である本件文書1(2)を保有するに至ったと認めるのが相当である。

また,甲1,2,21,37,証人吉野及び弁論の全趣旨によれば,吉野は,昭和46年6月12日,外務省のアメリカ局長室において,スナイダーが持参した別紙2−1の内容が記載された書面に,スナイダーと共にそれぞれイニシャルを書き込み,本件文書1(1)を完成させ(前記1(1)イ(イ)のとおり),アメリカ第一課の事務官にその写しを取らせたこと,及び本件文書1(1)の原本はスナイダーが持ち帰ったが,上記写しについては同事務官がアメリカ第一課に届けたことが認められる。以上の各事実によれば,外務省は,このころ,外務省の職員である吉野が職務上作成した文書である本件文書1(1)を保有するに至ったと認めるのが相当である。なお,証人吉野の証言の中には,外務省のアメリカ局長室にアメリカ第一課の事務官がいたことや,本件文書1(1)及び(2)の写しを取らせたこと等の事実について,覚えていない旨述べている箇所があるが,同証言は,当時の通常の執務のやり方に対する確かな認識を前提に,自分が本件文書1(1)及び(2)にイニシャルで署名をした以上はアメリカ第一課の事務官にその写しを取らせているはずであり,文書の性質上それらはアメリカ第一課に届けられたはずであるという通常の流れに反する記憶が特にないということを意味するものというべきであり,前記各事実は優に認められるものというべきである。
(b) そして,前記1(1)イ(イ)及び(ウ)のとおり,吉野がイニシャルを書き込んで本件文書1(1)及び(2)を完成させることについては,愛知外務大臣及び外務省条約局長があらかじめ了承していたことや,前記1(2)アで説示した本件文書1(1)及び(2)の秘匿の必要性及び内容の重要性を考慮すると,外務省が本件文書1(1)及び(2)を保有するに至ったころ,外務省内部,関係省庁間,ワシントンの日本大使館等の在外公館との間における情報共有等のため,それらに係る報告書及び公電などの文書や翻訳文が,外務省の職員によって職務上作成されたと認めるのが相当であるから,本件文書1(3)及び(4)についても,そのころ外務省が保有するに至ったものというべきである。
(c) 以上のとおり,外務省は昭和46年6月ころに本件各文書1を保有するに至ったものであるから,外務省による本件各文書1の保有がその後も継続していることが事実上推認され,被告において,本件各文書1が本件処分1の時点までに廃棄,移管等されたことによってそれらの保有が失われたことを主張立証しない限り,外務省は本件処分1当時も本件各文書1を保有していたと認められるものである。
b 外務省による本件各文書1の保有が失われたか否かについて
(a) 被告は,本件各文書1について,合理的かつ十分な探索を行ったものの,それらを発見することができなかった旨主張しているところ,一般的な行政文書については,行政機関が過去のある時点においてそれを保有していたとしても,その後当該行政機関が合理的かつ十分な探索を行ったにもかかわらずこれを発見することができなかったとすれば,当該行政文書は,既に廃棄等されたものと推認するのが相当であると解する余地があり,その場合には,前記a(c)の推認は妨げられるものと解される。
(b) そこで,本件各文書1について外務省が行った探索が合理的かつ十分なものといえるかを検討する。

乙8によれば,外務大臣は,かつて北米第一課が別件事件に関連して行った沖縄返還交渉に関する行政文書ファイルの調査結果に基づき,本件各文書1を保有していないと判断し,本件処分1を行ったことが認められる。そして,乙8によれば,上記の調査とは,北米第一課において,平成17年12月ころ,外務省の行政文書ファイル管理簿から,件名に「沖縄」を含み,昭和40年から同51年にかけて作成された行政文書ファイルを抽出し,そこから,沖縄国際海洋博覧会などの明らかに沖縄返還交渉と関係がないと思われる行政文書ファイルを除外することにより,沖縄返還交渉に関する行政文書ファイルとして合計308冊を特定した上で,平成17年12月19日ころから同18年2月13日ころまでの間,上記308冊の行政文書ファイル(なお,そのほとんどが既に官房総務課に移管されていたため,同課から一時的に貸出しを受けた。)を北米第一課の部屋に運び込み,北米第一課の事務官5名で手分けして,各行政文書ファイルにつづられた行政文書の現物を調査した結果,別件事件の甲第1号証から第5号証までに相当する文書(別件事件の原告が米国国立公文書館において発見されたと主張する文書であり,このうち甲第2号証及び第3号証は本件文書1(1)及び(2)とそれぞれ同一内容のものである。)が存在しないことを確認したというものである(以下,この調査を「別件事件関連調査」という。)ことが認められる。

(c) しかし,本件文書1(1)及び(2)は,前記1(2)ア(ウ)のとおり日本政府においてそれらの存在及び内容を秘匿する必要があったものであり,また,同(エ)のとおり極めて重要性が高いものであったのである。そして,その秘匿の必要性及び内容の重要性は本件文書1(3)及び(4)にも同様に当てはまるものと考えられる。そうすると,このように秘匿する必要性のある極めて重要性が高い行政文書が,別件事件関連調査で採られたような,調査時点における保管先とおぼしき部署への機械的又は事務的な方法による探索によって発見されるような態様で保管されていると考えることは困難というべきである。また,そもそも,被告は,沖縄返還に際しての支払に関する日米間の合意は沖縄返還協定がすべてであると主張し,少なくとも前記第2の1(6)の大臣命令が出されるまでは本件文書1(1)及び(2)の内容を否定していたのであり(当裁判所に顕著な事実),そのような立場にある者において,自らが否定する内容が記載されている本件各文書1を探索したとしても,その精度及び結果の信用性には一定の限界があるものといわざるを得ない。

(d) 本件各文書1については,その秘匿の必要性及び内容の重要性という特質を考慮するならば,別件事件関連調査のような,調査時点における保管先とおぼしき部署への機械的又は事務的な調査だけではなく,歴代の事務次官アメリカ局長,条約局長,アメリカ第一課の課長を始めとする同課在籍者等,外務省が本件各文書1を保有するに至ったと考えられる時期以降にこれらに関与した可能性のある者に対し,逐一,本件各文書1の取扱いや行方等について聴取することが求められ,このような調査を行うことによって,初めて合理的かつ十分な探索をしたと評価することができるものというべきである。そして,本件各文書1は,もともと,条約の締結交渉に関する一切の文書として,外務省旧規程及び外務省現規定のいずれにおいても永久に保存するものとされていたのであり,仮にそれらが既に廃棄されているとすれば,外務省における相当高位の立場の者が関与した上で,それらを廃棄することについて組織的な意思決定がされていると解するほかないから,上記のような調査を行えば,その廃棄の具体的状況が明らかになるはずである。

(e) なお,一般論としては,密約の存在を国民に対して秘匿している政府の下では,密約文書は,その秘匿の必要性の高さゆえに,秘匿状態を絶対的なものにする意図の下,既に廃棄されているのではないかという疑念が生じ得ないではない。しかしながら,当裁判所としては,被告が本件各文書1の廃棄についての十分な調査を行わず,具体的な主張をあえてしないのに,外務省においてそのような廃棄がされたと推論して,被告勝訴の結論を導くことはすべきではないと考えるものである。

(f) 以上によれば,外務省が本件各文書1について合理的かつ十分な探索を行ったということはできないのであり,また,外務省による本件各文書1の保有が失われた事実を認めることはできない。

c 外務省が本件処分1当時本件各文書1を保有していたこと

前記bのとおり,前記a(c)の推認を妨げるに足りる立証はないから,外務省は,本件処分1当時も本件各文書1を保有していたものと認められる。

イまとめ

以上のとおり,外務省は本件処分1の当時本件各文書1を保有していたものであるから,それらを保有していないこと(不存在)を理由としてされた本件処分1は,その理由付記が十分か否かについて判断するまでもなく,違法である。

(2) 争点(2)(本件処分2の適法性(本件各文書2の存否))について

ア本件各文書2の存否に関する主張立証責任について
前記(1)ア(ア)a及びbで説示したところによれば,原告らは,財務省が本件処分2の当時本件各文書2を保有していたこと(本件各文書2の存在)についての主張立証責任を負うが,原告らが,過去のある時点において大蔵省の職員が本件各文書2を職務上作成し,又は取得し,大蔵省がそれらを保有するに至ったことを主張立証した場合には,大蔵省ないし財務省による本件各文書2の保有がその後も継続していることが事実上推認され,被告において,本件各文書2が本件処分2の時点までに廃棄,移管等されたことによってそれらの保有が失われたことを主張立証しない限り,財務省は本件処分2当時も本件各文書2を保有していたと認められるものである。

財務省による本件各文書2の保有について

(ア) 大蔵省が昭和44年12月ころに本件各文書2を保有するに至ったこと
a 柏木及びジューリックは,前記1(1)ア(イ)のとおり,昭和44年10月21日から財政経済問題に関する交渉を続けた結果,同年11月10日までに,①日本が米国に買取資産の対価として1億7500万ドルを5年間の均等年賦払いにより現金で支払うこと,②日本が米国に移転費等関連費用2億ドル相当の物品及び役務を提供すること,③日本政府が通貨交換によって取得したドルの実際額又は6000万ドルのいずれか多い方の金額を米国の連邦準備銀行に25年間無利子で預金すること,④日本が社会保障費用として3300万ドルを負担することと要約される内容を含む合意に達したものである。そして,福田大蔵大臣は,前記1(1)ア(ウ)のとおり,同年11月12日,東京において,ジューリックの面前で,柏木が後にイニシャルで署名する予定の了解覚書を読み上げ,柏木は,その際,同了解覚書と全く同一の内容のコピーを所持していたものである。柏木及びジューリックが昭和44年11月10日までに達した前記合意の内容と,本件文書2(1)の内容との間に若干の相違点があることについては前記1(1)ア(オ)のとおりであるところ,福田大蔵大臣が同月12日に読み上げ,柏木が同日所持していた前記の「柏木が後にイニシャルで署名する予定の了解覚書」の内容がそのいずれであったにせよ,前記事実経過によれば,柏木は,ワシントンにおいてイニシャルを書き込んで完成させた本件文書2(1)について,福田大蔵大臣又は大蔵省に対して報告するため,その写しを取った上でこれを日本に持ち帰ったものと考えられ,大蔵省は,そのころ,大蔵省の職員である柏木が職務上作成した文書である本件文書2(1)を保有するに至ったと認めるのが相当である。
b そして,前記1(1)ア(オ)のとおり,柏木がイニシャルを書き込んで本件文書2(1)を完成させることについては,福田大蔵大臣があらかじめ了承していたことや,前記1(2)イで説示した本件文書2(1)の秘匿の必要性及び内容の重要性を考慮すると,大蔵省内部及び関係省庁間における情報共有等のため,それに係る報告書及び公電などの文書や翻訳文が,大蔵省の職員によって職務上作成されたと認めるのが相当であるから,本件文書2(2)及び(3)についても,そのころ大蔵省が保有するに至ったものというべきである。
c 以上のとおり,大蔵省は昭和44年12月ころに本件各文書2を保有するに至ったものであるから,大蔵省ないし財務省による本件各文書2の保有がその後も継続していることが事実上推認され,被告において,本件各文書2が本件処分2の時点までに廃棄,移管等されたことによってそれらの保有が失われたことを主張立証しない限り,財務省は本件処分2当時も本件各文書2を保有していたと認められるものである。

(イ) 財務省による本件各文書2の保有が失われたか否かについて

a 被告は,本件各文書2について,合理的かつ十分な探索を行ったものの,これを発見することができなかった旨主張しているところ,前記(1)ア(イ)b(a)のとおり,一般的な行政文書については,行政機関が過去のある時点においてそれを保有していたとしても,その後当該行政機関が合理的かつ十分な探索を行ったにもかかわらずこれを発見することができなかったとすれば,当該行政文書は,既に廃棄等されたものと推認するのが相当であると解する余地があり,その場合には,前記(ア)cの推認は妨げられるものと解される。

b そこで,本件各文書2について財務省が行った探索が合理的かつ十分なものといえるかを検討する。

乙2,9及び弁論の全趣旨によれば,財務省においては,本件各文書2について,被告が前記第2の3(2)イ(イ)a(b)で主張するとおり探索を行ったが,いずれの文書も発見されず,また,それらに係る廃棄又は移管の記録も発見されなかったことが認められる。

c しかし,本件文書2(1)は,前記1(2)イ(ア)のとおり日本政府においてその存在及び内容を秘匿する必要があったものであり,また,同(イ)のとおり極めて重要性が高いものであったのである。そして,その秘匿の必要性及び内容の重要性については本件文書2(2)及び(3)にも同様に当てはまるものと考えられる。そうすると,このように秘匿する必要性のある極めて重要性が高い行政文書が,前記bのような調査時点における保管先とおぼしき部署への機械的又は事務的な方法による探索によって発見されるような態様で保管されていると考えることは困難というべきであるし,平成13年1月という特定の時期の行政文書担当者からの聴取によってその保管の実態が明らかになるとも思われない。また,そもそも,被告は,沖縄返還に際しての支払に関する日米間の合意は沖縄返還協定がすべてであると主張し,本件文書2(1)の内容を否定していたのであり(当裁判所に顕著な事実),そのような立場にある者において,自らが否定する内容が記載されている本件各文書2を探索したとしても,その精度及び結果の信用性には一定の限界があるものといわざるを得ない。これらのことは,本件各文書1について前記(1)ア(イ)b(c)で説示したところと同様である。

d 本件各文書2については,その秘匿の必要性及び内容の重要性という特質を考慮するならば,前記bのような機械的又は事務的な調査だけではなく,歴代の事務次官,財務官,財務官室在籍者等,大蔵省が本件各文書2を保有するに至ったと考えられる時期以降にこれらに関与した可能性のある者に対し,逐一,本件各文書2の取扱いや行方等について聴取することが求められ,このような調査を行うことによって,初めて合理的かつ十分な探索をしたと評価することができるものというべきである。そして,本件各文書2については,規定上永久保存文書とされる本件各文書1とは異なり,大蔵省旧規程及び財務省現規則による何らかの分類を経た上で,本件処分2の時点までに所定の保存期間が経過したとして廃棄された可能性についても検討する必要があるが,その秘匿の必要性及び内容の重要性に照らすと,他の通常の行政文書と同様の機械的又は事務的な分類及び保存がされたとは考えられないところであり,仮にそれらが既に廃棄されているとすれば,大蔵省又は財務省における相当高位の立場の者が関与した上で,それらを廃棄することについて組織的な意思決定がされていると解するほかないから,上記のような調査を行えば,その廃棄の具体的状況が明らかになるはずである。

e なお,本件各文書2についても,本件各文書1と同様に,一般論としては,密約を国民に対して秘匿している政府の下では,秘匿状態を絶対的なものとする意図の下,既に廃棄されているのではないかという疑念が生じ得ないではない。しかしながら,当裁判所としては,被告が本件各文書2の廃棄についての十分な調査を行わず,具体的な主張をあえてしないのに,大蔵省ないし財務省においてそのような廃棄がされたと推論して,被告勝訴の結論を導くことはすべきではないと考えるものである。

f 以上によれば,財務省が本件各文書2について合理的かつ十分な探索を行ったということはできないのであり,また,大蔵省ないし財務省による本件各文書2の保有が失われた事実を認めることはできない。

(ウ) 財務省が本件処分2当時本件各文書2を保有していたこと前記(イ)のとおり,前記(ア)cの推認を妨げるに足りる立証はないから,財務省は,本件処分2当時も本件各文書2を保有していたものと認められる。

ウまとめ

以上のとおり,財務省は本件処分2の当時本件各文書2を保有していたものであるから,それらを保有していないこと(不存在)を理由としてされた本件処分2は,違法である。


(3) 争点(3)(本件各義務付けの訴えの適法性(本案前の争点)及びその適否
(本案の争点))について

ア本件各義務付けの訴えは,いわゆる申請型義務付け訴訟(行訴法3条6項2号)に該当するところ,前記(1)及び(2)のとおり,本件各処分はいずれも違法であって,取り消されるべきものであるから,本件各義務付けの訴えはいずれも適法である(行訴法37条の3第1項2号)。

イそして,本件各文書1及び2について情報公開法所定の不開示事由はなく,外務大臣は本件各文書1について,また,財務大臣は本件各文書2についてそれぞれ開示決定をすべきであることは情報公開法上明らかである。

したがって,本件各義務付けの訴えはいずれも理由がある(行訴法37条の3第5項)。


(4) 争点(4)(国家賠償請求の適否及び損害額)について
ア国家賠償請求の適否について
(ア) 前記(1)及び(2)のとおり,本件各処分はいずれも違法であるところ,情報公開法に基づく開示請求を受けた行政機関の公務員が,開示請求に対して誤った判断をした場合,そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるものではないが,当該請求を処理するに当たって,公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該判断を行ったと認め得るような事情がある場合には,当該公務員の行為は,国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁平成元年(オ)第930号,第1093号同5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁,最高裁平成17年(受)第530号同18年4月20日第一小法廷判決・裁判集民事220号165頁参照)。

(イ) 外務大臣は,前記(1)ア(イ)b(b)のとおり,別件事件関連調査の結果に基づき,本件各文書1を保有していないと判断して,本件処分1を行ったものであるところ,乙8によれば,同判断の具体的過程は,外務省において本件開示請求1を受理した後,本件文書1(1)及び(2)がそれぞれ別件事件の甲第2号証及び甲第3号証と同一内容のものであることが判明したため,別件事件関連調査の対象及び方法について当時作業に当たった担当官等から確認した上で,別件事件の甲第1号証から第5号証までの不存在という別件事件関連調査の結果を検討した結果,本件各文書1を保有していないと判断したというものであったことが認められる。
そこで,本件処分1に係る外務大臣の行為について検討するに,本件処分1は,米国国立公文書館で公開されている文書と同一内容の文書である本件文書1(1)及び(2)並びにそれらに係る報告書及び公電などの文書や翻訳文である本件文書1(3)及び(4)の開示を求めるという本件開示請求1に対し,外務大臣において,本件各文書1の存否を正面から問題とした上で,それらを保有していないことを初めて外部に表明するものであったということができる。本件処分1の上記のような性質を考慮すると,本件各文書1の存否の判断に当たっては,その時点において十分な調査を行うべきものであったのであり,関係すると思われる行政文書ファイルを調査したことが過去にあったとしても,本件開示請求1に対する応答にその調査結果を援用することができるか否かについては,慎重な検討が求められるものというべきである。

ところが,本件処分1に際して外務省で行われた検討の内容は,前記のとおり,本件文書1(1)及び(2)と同一内容の各文書を含む別件事件の甲第1号証から第5号証までは存在しなかったという別件事件関連調査の結果を前提に,別件事件関連調査の対象及び方法について,3年近く前に別件事件関連調査の作業に当たった担当官等から確認したというだけであり,本件文書1(1)及び(2)の不存在が確認されたという調査結果をそのまま援用することができるか否かについて十分な検討をしたと解することはできない。そもそも,別件事件は,原告となったP2が国を被告として謝罪文交付等を請求したものであったが,原告の主張する不法行為の時から20年を経過したことにより請求権が消滅した旨の被告の主張が採用されるなどして請求棄却の判決がされたものであり(当裁判所に顕著な事実),その経緯に照らすと,別件事件関連調査が十分なものであったことには疑問が残るものである。さらに,本件文書1(3)及び(4)に至っては,別件事件関連調査においてその存否の確認すらされていないのであり(なお,乙8には,「別件事件の甲第1号証ないし第5号証(…略…)に相当する文書等を保有しているか否かを確認する作業を行った」とする記載部分があるが,ここにいう「等」が何を意味するのかが不明であり,上記認定を左右するものではない。),その不存在が合理的に判断されるものとは到底考えられない。

したがって,外務大臣は,本件各文書1については,それらの存否の確認に通常求められる作業をしないまま,本件処分1を行ったというべきである。

(ウ) 以上によれば,外務大臣は,本件処分1を行うに当たって,公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と不存在という判断を行ったと認めることができるのである。したがって,本件処分1に係る外務大臣の行為は,国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるものである。
イ損害額について
弁論の全趣旨によれば,原告らは,それぞれ,本件処分1により,情報公開法に基づく開示請求を妨げられないという利益を侵害され,精神的損害を被ったことが認められる。

ところで,弁論の全趣旨によれば,本件文書1(1),(2)及び2(1)の背後にある事実関係の一部は,沖縄返還交渉当時から,いわゆる沖縄密約問題として取りざたされてきたものであること,また,原告P2らは,その問題を当初から追及してきたものであることが認められる。そして,甲25,54,原告P1本人及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,沖縄返還から長い年月を経て,米国国立公文書館で公開された米国の公文書の中から原告P1において多大な時間と労力をかけて本件文書1(1),(2)及び2(1)と同一内容の各文書を発見した上で,沖縄返還交渉における反対当事者である日本政府も本件文書1(1),(2)及び2(1)を保有しているはずであり,また,それらに関する報告書及び公電などの文書並びに翻訳文である本件文書1(3),(4),2(2)及び(3)についてもこれを保有しているはずであると確信したこと,原告らは,それぞれ様々な個人的な思いを持ちつつも,本件各文書1及び2の開示を先鞭とする日本政府の自発的かつ積極的な情報公開により,国民が政府の政策を正確に把握して,日本,その領土でありながら特異な状況に置かれてきた沖縄及び米国の関係を自ら考え,現在及び将来の政策に結び付けていくことこそが民主主義に資するという信念を共有していたこと,そして,今となっては,日本政府もこれに誠実に応答するものと期待して,本件開示請求1及び2をしたものであることが認められる。そして,上記のような事情の下では,日本政府は,過去の事実関係を真摯に検証し,その諸活動を国民に説明する責務を全うすしるとともに,公正で民主的な行政の推進を図るために最大限の努力をすべきものであるから(情報公開法1条参照),原告らのそのような期待は極めて合理的なものであり,法的にも保護されるべき期待であったということができる。換言すれば,米国国立公文書館で公開された文書を入手していた原告らが求めていたのは,本件各文書1の内容を知ることではなく,これまで密約の存在を否定し続けていた我が国の政府あるいは外務省の姿勢の変更であり,民主主義国家における国民の知る権利の実現であったことが明らかである。ところが,外務大臣は,前記アのとおり,密約は存在せず,密約を記載した文書も存在しないという従来の姿勢を全く変えることなく,本件各文書1について,存否の確認に通常求められる作業をしないまま本件処分1をし,原告らの前記期待を裏切ったものである。このような,国民の知る権利をないがしろにする外務省の対応は,不誠実なものといわざるを得ず,これに対して原告らが感じたであろう失意,落胆,怒り等の感情が激しいものであったことは想像に難くない。上記の事情を前提として,本件処分1によって原告らが被った精神的損害の程度について検討すると,本件訴訟において本件各文書1の開示が命じられることによって,原告らの精神的損害が相当程度回復されるものと考えられることなどの事情を総合考慮しても,損害賠償として各原告に対して支払われるべき慰謝料の額は10万円を下回るものではないというべきである。

ウまとめ
以上によれば,原告ら各自につきそれぞれ10万円の賠償等を求める原告らの国家賠償請求は,本件処分2に係る財務大臣の行為が国家賠償法上違法であるか否かについて判断するまでもなく,いずれも理由がある。

第4 結論
よって,原告らの請求はいずれも理由があるからこれらを認容することとし,訴訟費用の負担につき,行訴法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第38部

裁判長裁判官杉原則彦
裁判官品田幸男
裁判官角谷昌毅